アダム・スミス

"今こそ、われわれの支配者たちが ——そして、おそらく国民も―― ふけってきた、この黄金の夢を実現するか、さもなければ、その夢から目覚め、また国民を目覚めさせるよう努めるべきときである。"

アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)

著・堂目卓生

市場には需要と供給が存在し、神の見えざる手によってそれらのバランスは自然に調整される。
この"神の見えざる手"という言葉。経済を勉強していなくても、一度は聞いた事があると思われる単語だ。
(実際には"神の"という言葉は使ってないようだけど。)
経済を発展させるのに、国家による市場への介入を批判し、市場の原理に任せるべきであるというアダム・スミスの考え。
経済には全く明るくないんだけど、マルクスの「マ」の字を読んでいる手前、アダム・スミスの「ア」の字も読んでおかなくては、ということで手にした一冊。

これはね、良書だ。(上から目線)

読む前の印象として、マルクスは「打倒資本主義!労働者に自由を!」というイメージを持っていて、それに呼応するように(というかアダム・スミスが先だけど)、神の見えざる手と併せるとアダム・スミスは「見えざる手が経済を回す!資本拡大路線まっしぐら!」というイメージ。

資本=お金 と短絡的にイメージされがちかもしれない。
資本といっても、土地や食料、材料などの資源、労働力、etc、、、他人と"交換できる"何かであれば、それは資本。
そして交換するのに便利な手段としてお金=貨幣があり、保存もきくし持ち運びも便利だということで貨幣が交換の場では主役だ。
この交換の場というのが市場であって、他人と価値が等しいものを交換し合う。
しかしここで、交換媒体である貨幣が浸透したことで、貨幣を富と思い込むという錯覚を引き起こす事になった。
本当に価値があるのは、それと交換される必需品や便益品であるにも関わらず、だ。
これを重商主義とスミスは呼び、この錯覚から人々の目を醒まそうとさせた。
国富論にそういった意図があることを初めて知った。
マネーゲームが跋扈する現代、資本の拡大路線の延長上にそれが存在し、スミスはそれを是としていたと思いきや、全くの勘違いだった。
何しろかれは、まず彼の人間洞察の哲学を「道徳感情論」で展開し、それを基礎として「国富論」がある。ということを本書を通じて知る事になる。

さて、ここから先は俺的メモ。
興味のある人だけどうぞ。(タイトルをポチっとな)




道徳感情論ではこうだ。
"スミスは、人間本性の中に同感 —―他人の感情を自分の中に写し取り、それと同じ感情を自分の中に起こそうとする能力―― があることを示し、この能力によって社会の秩序と繁栄が導かれる事を示した。"
まず、スミスは自己の心に公平な観察者がいると定義した。人は他人に対してどう考えているか、どう行動しているか関心のある生き物だ。
そしてその延長上には、経験から学ばれた、自分の感情や行為、もしくは他人の感情や行為に対して相互に是認や否認をするし、またそれを欲する。
是非の判断を下すのは、胸中にある公平な観察者である。
観察者が判断を下し、それに従うときもあれば従わないときもある。それは自分を勇気づけたり、良心の呵責を生み出したりする。
その判断の結果得られるものは、期待通りのものかもしれないし、偶然違う結果となったものかもしれない。
結果が得られた時に、世間の観察者(評価)、胸中にある公平な観察者、人はどちらを優先するのだろう。
スミスは、公平な観察者を優先するのが賢者、世間の観察者を優先するのが弱い人、と呼ぶ。
しかし実際には、程度の差はあれど人は両方の部分を持ち合せている。ある時は賢者になるし、ある時は弱い人になる。
そして経済を発展させるのはこの弱い人なのだ、とスミスは説く。
彼らは自分の虚栄心、欺瞞を満足させるために富を拡大させる。そしてその結果が、彼らの意図とは別なところで、見えざる手が働き、富が分配されると言う。
そうすることで、貧しい人達に労働が与えられ、社会の繁栄につながるのだと、スミスは言う。
しかし、この見えざる手が十分機能するためには、弱さは放任されるのではなく、賢明さによって制御されなければいけない。
社会の秩序と繁栄をもたらすのは、この「弱さ」と「賢明さ」であるとされるのだ。

スミスは国際秩序についても言及する。
例えば、幸福について人は、自分、家族、友人や知り合いといった序列で願い、その願望を愛着と呼ぶ。
しかし個人の心の中で愛着の転倒が起きてしまったとき、すなわち周囲の人への愛着の延長上にある国への愛着を越えて、国がそれ自体で価値を持つと思われる様になるとき、国民的偏見が生じ、他国を卑下するなどの道徳的腐敗が引き起こされる。
そしてこれは、中立的な観察者がいないからであるとされる。そもそも言葉や人種、文化が異なる国に対して、個人に存在する公平な観察者は、他国へ適用するにはズレがある。これが国際問題を引き起こす要因でもある。
しかし、人として共通する部分、この観察者の価値観が合わさる、道徳的な一般原理は存在すると彼は考えていた。
スミスはその考えを発表できずこの世を去ったが、国際秩序について、筆者はスミスの意見をこう述べている。
"ヨーロッパの諸国民は、同感し合うことを慣習化することにより、国際問題における道徳的腐敗を免れることができる。そして、諸国民の間の自由な貿易こそ、そのような交際を広める手段となりうるのだ。物の交換は、人と人との同感を前提にしなければ成り立たないからであり、また物の交換を繰り返すことによって、人は取引相手をよりよく理解する事ができるからである。"

道徳感情論ではおおよそ上の様なことが紹介されている。
秩序について付け足せば、スミスは社会を維持し、存続させるためには正義が必要と考えた。
これは、人が不愉快を嫌うことから、法によって不愉快(=憤慨)を制御しようとすること、つまり正義が秩序に必要であるという。

以上の様に、スミスは道徳感情論において、彼の洞察を通して、繁栄と秩序について彼の考えを述べている。
そしてそれは、大きな意味で自然に任せる、という姿勢が見える。
秩序と繁栄について、万民の諸法をつらぬき、それらの基礎となるべき一般原理である、「万民の法」を考察していた。
これは世に出ることはなかったけれど、その基礎にあるのは自然法と呼ばれるもので、ジョン・ロックにある思想であり、古くはアリストテレスにある思想とも言われているようだ。調べてみよう。


さて、国富論はこうだ。
まず、社会繁栄の一般原理は、分業と資本蓄積であるとする。
順としては、資本が十分用意されており、分業が促進されること。そしてスミスが重視する分業の効果は、社会全体の生産性が向上することだけでなく、増加した生産物が社会の最下層まで広がる事であるとする。
ここでスミスは、分業が交換の原因なのではなく、交換が分業の原因だと考えている。
単一生産物に特化する分業ができるのは、交換の場がなければ、そのようなリスクは負う事はないだろうとされる。
そして人間の、この「交換性向」は人間の本性の中にある本源的な原理とされ、交換を成立させるのは、同感という前提があるからなのだ、と。
(同感とは、道徳感情論で言われた公正な観察者に通じる。人は相手の感情や行為を自分の心の中に写し取り、想像力を使って同じ感情を自分の中に引き出そうとする。観察者が適正な判断をするとき、この心の作用は必ず生まれる。)
この交換により、人はお互いの生活を支える事ができるのであり、この様な社会を商業社会と彼は呼ぶ。
この商業社会は市場社会と言い換えることができるけど、この社会はフェア・プレイを行う正義感と交換を可能にする同感とで成り立っている。
ここで、スミスは、市場で行われる個人の利己心による行動は、市場の価格調整メカニズムを通じて、公共の利益を促進する(互恵の質を高め量を拡大する)と考えた。いわゆる、「見えざる手」である。

スミスが国富論で想定している社会は階級社会だ。
社会は主として、地主、資本家、労働者の三階級からなるとされている。
資本の蓄積について、資本の「回し方」について彼は紹介する。
かいつまんでいうと、
-資本家が資本を蓄積することによって労働需要が増大し、仕事の無い人に仕事が与えられ、労働者階級の境遇を改善する。
-資本蓄積が大きいほど成長は早くなる。メカニズムからすると、個人や政府による浪費が多いほど、これを阻害する。
-注意されるべきなのは個人ではなく政府の浪費である。支配階級の無知と無能のため、そして彼らに働きかける一部の資本家の貪欲と野心のためにそれは生じる。

スミスは政府が市場へ介入すること、浪費をすることが、成長を妨げると考えたのだ。
また、スミスは階級社会において公共財産を管理する(政治を支配する)ものとして、労働者階級は相応しくないと考えた。
"労働者は社会の利害を理解することも、社会の利害と自分の利害との結びつきを理解する事も出来ない。(中略) たとえ十分な情報を得たとしても、教育や習慣のせいで適切な判断を下すことができないのが普通である。"
と述べている。他方で、地主はその怠惰さや無知さ、知識の乏しさによって適正を疑うし、資本家階級は公共精神に乏しく自己利益のために公共の利益を犠牲にすることがあるといって適正を疑った。
本書で明確な回答は出されていないが、道徳感情論における真の「賢人」あるいは「賢明さ」を維持する仕組みが必要だと思われる。

資本の投資について、彼は農業、製造業、最後に外国貿易の順に投資するのが自然であると考えた。
それは、人間の生活にとっての必要性、投資の安全性、土地に対する人間の本性的な愛着という根拠からきている。
土地の愛着に付いて、スミスは次の様に言っている。
"農村の美しさ、田園生活の楽しさ、それが約束する心の平静、(中略) 人間の歴史のあらゆる段階において、人間はこの原初の仕事への愛着を持ち続ける様に思われる。"


こうした基礎付けから、スミスは当時のイギリスがおかれていた立場と、今どうすべきであるか、ということについて、国富論で世に訴えたのである。
国富論が世に出たのは1776年。これはアメリカ独立戦争真っ最中の年である。
スミスはまず、西ローマ帝国の滅亡から始った、ヨーロッパの衰退と領土の占拠を皮切りに、歴史を振り返り資本がどう扱われて来たか、そしてそこには自然な投資順とは逆行した、外国貿易、製造業、農業という順序の発展があったのだと語る。
そしてこれがイギリスの混乱をもたらしたと見て、大航海時代に外国貿易を優先したことで、重商主義政策に陥ったと指摘する。
ここで重要なのが、当時開拓されていたアメリカ植民地。
植民地から得られる利益を独占しようと、イギリスは色んな規制をおこなった。それは全て政府と一部の特権資本家の虚栄心や貪欲、つまり「弱い人」が大きく力を持った結果である。
その結果、他国とは国民的偏見の増大で関係は悪化し、それにより起こる戦争や植民地防衛にかかる費用を補填するため、国民の財産は侵害され、植民地の人々は不信と反発心を募らせることになる。
イギリスは危機的状況に立たされていたのだ。
そこでスミスは、優先や抑制を行うのではなく、それ自体を廃止し、本来の発展経路に自然に復帰させるべきだとする、「自然的自由の体型」を提案した。
イギリスが植民地貿易に課している諸規制を徐々に緩和、撤廃することや、各方面に気を配り、痛みや不満を最小限にしながら、ゆるやかな改革をしていくべきだと説く。
そしてで、火急の事案であるアメリカ植民地をどうするか、今すべきことの考えを述べている。
植民地では「代表無くして課税なし」と訴え、運動が高まっている。
利権を手放したくないイギリス政府はこれを武力で征服するか、政治への参加を許すか、経済政策で不満を回避できるか悩んでいた。
しかし事態は相互の不信と偏見により、アメリカ植民地を統合することは叶わなかかった。
スミスは、イギリスにとって今なすべきことは、アメリカ植民地を自発的に分離する事だとし、国富論の最後で、冒頭で紹介した考えを主張しているのだ。

社会的存在として個人を定義し、市場社会において富は人と人、つまり成長に富んだ人と貧しい人、さらには貿易によって異国の人と人ををつなぐ媒介として機能を果たし、そこに存在する公平な観察者、同感と正義が社会の秩序と繁栄をもたらすと説いた。
そしてそこには自然の一般原理があり、それを見えざる手と呼び、人はこれに身を委ねるべきだと主張した。
欺瞞に陥り余計な思いを馳せるべきではないと、彼は言う。
それは彼が考える幸福について、次の様に定義しているからだ。
"幸福は平静と享楽にある。平静なしには享楽はありえないし、完全な平静があるところでは、どんなものごとでも、ほとんどの場合、それを楽しむ事ができる。"
筆者は本書の最後の方で、こう語る。
"私たちは受けるに値しない幸運と受けるに値しない不運を受け取るしかない存在なのだ。そうであるならば、私たちは幸運の中で傲慢になることはなく、また不運の中で絶望することなく、自分を平静な状態に引き戻してくれる強さが自分の中にあることを信じて生きていかなければならない。"

彼の人への洞察と経済への洞察、そして歴史の見解を述べて今すべきもの、今後必要であるものを世に訴えていた。

経済学と聞くと、思い浮かべるのはなんだろう。
例として、過去に読んだマクロ経済学入門 という本。過去の日記なので書き方を模索している感がありありと伝わってきて遠い目をしつつ、いわば「ツール」としての経済学という印象がある。
いまの経済を知る方法として、「万物は数である」というピタゴラス的な発想で数字を駆使して研究をする。
お金がお金を呼んでいる今の市場で、数字の重要性というのは高いのだろう。
しかしそこにはどんな考えがあるんだろう。
経済学と聞いて無機質なイメージを抱くのは誤解があるのかもしれないけれど、どうもそのイメージを拭えない。
しかし富国論はまぎれもなく経済学の部類だ。
でも彼の洞察と当時直面していた問題に対する意見としての側面から見た富国論は、経済学という枠に捕われない、彼の血の通った一冊の本として楽しめる、そんな感触が得られる。
少なくとも、本書は当時の歴史を織り交ぜながら臨場感のある紹介になっていて、とても楽しめた。
まあ経済学を語るほどの知識もないので、これ以上恥の上塗りはやめておこう。
ただ、前に読んだ行動経済学の"予想通りに不合理"は行動からくる経済活動の研究と観察を紹介していて、楽しかったな。
そこらへんから経済の知識を足して行けばいいかしら。

本書は丁寧に分かり易く、アダム・スミスが考えたことのの筋道を示してくれる。

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