生まれてこない方が良かったのか?

 "私がこの問題を長いあいだ考え続けてきたのは、私自身が「生まれてこなければよかったのではない」という問いに搦めとられてきたからであり、現在もその問いとともにあるからである。”


生まれてこない方がよかったのか? 著者・森岡正博


最初にいっておくけど、タイトルの言葉のようにいま悩んでいるわけではないです。
ふと目に入ってきた、なかなか刺激的なタイトルで、年末年始はこれを読もう、と思って手にした本。

どういう本か。概略は本書より以下:
生まれてこないほうがよかったと言う思想は人類2500年の歴史を持つ。本書では、古代ギリシャの文学、古代インドの宗教哲学、ブッダの原始仏教、ゲーテやショーペンハウアー、ニーチェなど近代の文学と哲学、そして「誕生害悪論」を説くベネターら現代の分析哲学を取り上げ、徹底的に考察。人間がこの世に生まれてくることは誤りであり、生まれてこないようにした方が良いとする反出生主義を世界思想史の中に位置づけ、その超越の道を探っていく。反出生主義の全体像が分かる本邦初の書である。

人間は生まれてこなかった方がよい:誕生否定
人間は新たに生まれない方がよい:出生否定

と定義したときに、後者にも触れつつ、主に前者の議論を古今東西の文学哲学から読み解き、生命の哲学と銘打って議論の枠組みを提示しようという著者の試み。

タイトルに対して最初に思うことは、生まれてきてしまったのだからどうしようもないじゃん、というものだ。
誕生否定を論じること自体に矛盾を感じる。なぜなら否定する対象は人間であり、そこには自分も含まれているわけで、つまり自己否定の考えだと思うからだ。もちろん、様々な理由で「生まれてこなきゃよかった」と思うことは理解できるし想像もできる。そういう瞬間だったり時期であったりものはある。ただそれを自分自身でなく、大きな主語で語ることに違和感を感じる。

この疑問について、本書では、誕生否定の思想と、自分が生まれたことに対してを分けて考えるらしい。すでに生まれてしまったものはどうしようもない、という立場は同じのようで、だからといって「死んでしまった方が良い」という事にはならない、と区別している。
そして、「人間は生まれてこない方が良かったのか」ということを考えない理由にはどうやらならないようだ。難しい。

さて過去の偉人たちはどのような思想を展開していたか。
古代ギリシャからこの思想はあったというから驚きだし、旧約聖書においてもそのイエスの言葉でその言及あるようだし、ショーペンハウワーは相変わらずキレッキレに誕生否定していたようだし、その反対にニーチェは残酷なまでの誕生肯定を唱えるし、ブッダはむしろ現実逃避かのようだし、そもそも古代インドの言説が興味深いし。

こうした編集の意図はどうした背景があるのか。
著者はこう語る。
私はこの問いにまみれているが故に、誕生否定と反出生主義の思想を自分のこととして探求してきたのであり、それを内側から解体することを目指して誕生肯定の考え方を提唱してきたのである。

  (中略)

 私にとってこの問題と向き合う事は決して知的なパズル時ではなく、私がこの限りある人生を後悔なく生きるためにどうしても必要な作業である。あるときは否定の側にいたより、あるときは肯定の側に寄りながら、生まれてきたことの意味を考察し続けていく作業、それが私にとっての「誕生肯定の哲学」という営みなのである。


古今東西の言説を紹介する点、最終節でAIと今後の知見については大変興味深く読んだ。
しかし誕生否定説については直感的に十分理解できたとは言い難い。

個人的に新鮮だったのは、妻がテーマに対する理解が深いということだ。
なるほどそういう理解があるのだなと、このテーマに対して会話していると発見がある。
うーん、こういうtopicは対話がないと理解が進まないという今日この頃。

ということで?、リモートにより対話に飢え気味なので、今年もみなさま話してくれると嬉しいです。
今年もよろしくお願いします!

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