彼が通る不思議なコースを私も


“僕はたとえどんなに短い人生だったとしても、人間はちゃんとした死に方で死ぬべきだと思っている。”

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集英社文庫 / 著・白石一文


書店に並べられた書籍の中から、たまたま目に留まったのがコレ。
ビル群の中から朝日が昇りつつある静かな様子が、湖畔に映えたように中央でシンメトリーになり、しかしよく見るとその水面に映るのはモノクロの風景、という不思議なカバー。
何よりも、タイトルから内容を想像するのが難しい。

あらすじを引用すると以下になる。

「友人の生死を決める衝撃的な現場で霧子が出会った黒ずくめの男。彼は修羅場をよそに、消えるようにいなくなってしまった。後日、霧子は男に再会し、徐々に魅かれていく。彼の名は椿林太郎。学習障害児の教育に才能を発揮し、本気で世界を変えようと目論む、抜群に優秀な小学校教師。人は彼のことを「神の子」と呼ぶ。しかし、彼にはある大きな秘密があって…。」


教育観や、生きることへの問いかけを抱えた本筋が流れ、それを少しのファンタジーテイストでソフトな仕上がりにしている。
学校の教育現場では組織的な事情から自分の行動範囲が制限されていた林太郎が、学校を辞め、学習レディネス(=学習を行うための土台・準備)を鍛える教室を開くのだけど、その過程で直面する問題や、なぜ学習レディネスに注目したのか、というところが、この本のテーマの一つだ。
そしてもう一つのテーマが、タイトルに表されていることを、読者は最後に知る構成となっている。

実は白石さん、この本のことでインタビューされていてPart5までがYoutubeへあがっていた。まともに話しているのは初めてみたかも。
いままでは小説という形にすること自体が読みやすさを担保しているのであって、あとは自分の書きたいように書いていたこと。
この作品あたりから、読者に染み渡るように意識して書くようになった、と語っているのが印象的。


なるほど、ソフトな印象をもったのは、そっと花を植えるような、そんな書き方のように感じたからなのかなぁと、漠然とインタビューを聞いて思ったりした。
この結末はふわっとしていて批判的な声も見えるけど、こういうテイストをあえて使ったのかなぁとも思ったり。
僕は嫌いではないかな。くるっと反転して、私のターン!という霧子が、今後林太郎に与えたいと願うモノと、その想いが、物語の源泉から湧き出るものと共通しているから。
この後の白石作品の作風は、変わっていくのかな?

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