葡萄と郷愁

"あのときの葡萄はいまも、とめどない夢の火花となっている”


著・宮本輝

二人の女性が主人公。一人は東京。もう一人はブダベスト。
それぞれの国と都市で、とある選択を迫られた女性がどのような結論を導くのか、というのが同時並行的に物語が進んでいく。

宮本輝氏は男女間の事柄、女性の生き方というものを取り扱う人なのかなぁというのが二冊目を読み終わっての感想。

この小説では人生における大きな選択をつきつけられ、答えを出す時間が決められている。
物語としてはその定められた時間に向かって進行していくなかで、主人公がどのような心境で過ごすか、どういう形で決断をするのか、というのが描かれている。

大きな選択が必要なとき、これからの希望を考える反面、これまでのことやいまの居場所を懐かしむような気持ちが湧くもので、それは追憶や郷愁という言葉で表す類の感情なのかもしれないと考えると、タイトルにも納得する。
僕自身は捨てられない人間なので、何かを手放すとき、その対象の価値について普段は意識していなかった点を含め、再発見する形で輝きを増す。だから、手放せなくなる。(そして妻に怒られる。)
それは女々しかったり決断ができない弱さだったりするのかもしれないけれど、その対象が大きければ大きいほど、人は慎重にもなるはずで、郷愁という念が生まれるのではないだろうか。

この小説では、そうした想いに髪の毛を引っ張られた、国も年齢もちがう主人公らがそれぞれの現実に悩み逡巡し、友人や周囲の人からのやり取りの中で、選択の時を迎えようとしているのだ。

巻末解説によれば、著者はハンガリーからの留学生を自宅に3年ほど下宿させていたようで、そのなかから本書のアイディアも生まれたのだろうと言われている。
物語は1985年の時代。
この年の日本はバブル期最高基準の株価を記録し、マリオブラザーズが発売され社会現象を巻き起こす、おニャン子クラブが誕生する、そんな時代だったようだ。
一方もう一つの舞台であるハンガリーは東側の支配が続く、ベルリンの壁がそびえ立つ時代だ。まだどこか時代の暗さが世間を覆っているような空気感があるのだが、カタツムリのような遅くしかし確実な経済活性化路線が徐々に花開く、希望を持ちつつある時代だったようだ。
若者達は権力からの監視の目を気にしつつも、いくらかましな共産圏における相対的な自由を享受しつつも、外にある自由を羨望しこうした言葉を口にする。

”東、西。じゃあ、俺たちの国は何だ。東と西に分けて、世界を考えたら、俺達は絶望的になる。途方もなく、自由な国々と離れてしまってるんだな。そう思っちまうよ。"

このあたりのセリフは、著者が留学生から受けた影響の一端であるのかもしれない。

本を閉じて後ろのページを見た時、思わず二度見する。
初出 「JJ」 1985年5月号。
JJといえばエビちゃん(古い?)を思い出すのだけど、こうした小説も取り扱っているのね。


服を選ぶ感覚で人生の岐路は選べないだろうけど、女性というのは(全ての人がそうでないにしろ)ある種その日その日の服装のチョイスは真剣に選択をしているので、もしかして選択というテーマでは親和性が高いのかしら、と思ったり思わなかったり。
といっても、選択をする際の悩みという点では女性以外の読者にも理解できる節はあるはずで、何となく残るセリフやシーンというものもある。

それぞれの結末を読み終えたあと思うのは、そこにある色々な"差異"というのが、ともすると著者が当時感じていた現実の側面の反映で、そのことで読み手に問を投げかけているんだなぁと。

ところで今日あたりから僕の鼻が決壊して鼻水ズーズー。
注意力散漫な憂鬱な日々が始まる。あーしんど。

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