映画とか

最近見た映画について。

はじまりのうた



キーラ・ナイトレイ、昔の彼女にはときめいたのに、今ではそんなでもないのは趣味が変わったからなのだろうか。
NYの街中でゲリラ録音するバンドのボーカル。その彼氏は夢のスターダム、浮気で別れてgoing my way.
私の歌を勝手にアレンジする野郎には愛想を尽かし、私はわたしの道をゆく。
これが私のはじまりのうた。

…ものすごく乱暴にまとめるとこんな感じ。
Maroon5のアダムも出ているし、キーラの素朴な歌声がLovelyな人にとってはgoodな映画なのだろうけど、イマイチ、ピンとこなかった。
音楽の楽しみ方についても言及している映画ではあったけど、後から思い返してどうのとは思わない映画ですた。僕はね。




6才のボクが、大人になるまで



「どうしてみんな“一瞬を逃すな”って言うのかな。私は逆だと思うの...。一瞬は私たちを逃さない。」
「分かるよ。時間は途切れない。一瞬は常に今ある時間のことだ。」


おお、なんだ、このセリフだけ切り取ると、何イチャイチャしてるんだと思う。
まぁ実際そうなんだけど。

この映画が面白いところは、実在の子供(役者)を、大学に進むまでを撮り続けたという点。
とてもシンプルなモチーフであり、アメリカではありふれた日常であるのかもしれない、そうした日常生活と時間の経過を映画という形で追いかけていく。
劇中で度々おこる離婚や前の夫との関係というのは日常的なのかは疑問が残るものの、二人の子どもと親が節目節目に変わっていくところは、他の映画では他のキャストを使うところ、この映画では本人がずっと続けているという点で何やら暖かみを持つ不思議。
女の子について言えば、やはり男の子よりも成長早く優秀でませていて、目の前の新しいことにどんどん興味を持つのが分かる。
男の子について言えば、姉よりも不器用で内気でマイペース、興味あることを見つければその道を進んでいく姿が印象的で、いつしか逞しさも感じられるのが見ていて分かる。
男の子の成長というのはほんと楽しみなものなんだなぁというのを最近思うようになったのは僕がおっさんになった証でしょうか。
是非、監督には「6才のボクが、おっさんになるまで」というタイトルで酸いも甘いも描いて頂きたいものです。




君が生きた証



"君と一緒に歌えたらいいのにな"


アメリカの社会問題の一つである銃乱射事件。
この映画はそれを題材に扱った映画であり、一部ネタバレを含むのでこれから見る方は飛ばして頂いたほうが良いのかと。
オススメできる映画なので、興味のある方は先に鑑賞をどうぞ。




銃乱射事件がある度にいつも規制と保守の対立がアメリカに見れるのは、アメリカの憲法と国の成り立ちが密接に関わっているのだろうけれど、悲劇的な事件が日常茶飯事的に起こる事をこのまま許容することに一体どれだけの正義があるのか不思議で仕方が無い。
そうした部分は置いておいて、この作品が掲げるテーマは銃乱射事件におけるとある親の視点である。

この脚本が戦略的なのは、一時は被害者側の立場で観客を引き込ませ、十分引きつけたあとにその真相を明かす所にある。
僕ら観客としては被害者の親と言う立場に感情を寄せているのであり、その感情の基礎を構築したあとに真相を明かす。それは観客が初めから波が引くようにさあっと引かれないための工夫だと思うし、この映画が語りたい核の部分になんとか観客を近づけておきたいから取った手法なのだろう。
単純に、はじめから加害者側の親という立場で始めた場合、何人の観客が物語に寄り添ったかは分からない。事件が身近で起きているアメリカ人の立場を思えば、こうした手法は必要なことだったのかなぁと思うところ。

物語としては、感情に訴えかけるという点で音楽を使ったコミュニケーションが取れれている。
こういう書き方をすると反論も出てくるだろうけど、音楽以外にこの立場と視点を映画を通して観客に届けるのは、それ以外のものがもたらす範囲よりもずっと広いはずだ。

簡潔に言って、ある意味で単純な僕としてはこの映画に涙したし、一人の父親としての哀しみを表現している点で社会的な意味があるように思える。
そう思った時、この映画がアンチテーゼとして意味を持っているのだと考えれば、アメリカでの加害者の家族が歩む人生は想像するに堪え難い。

罪を憎んで人を憎まず、という言葉を聞いたことがある。
人を憎むほどの罪でなければ、そうなるかもしれない。
ティーンエイジャーの魔が刺した事件なんだ、そうした心持ちは誰にだってある、だからこそ罪を悪め。
そうはならないよね。その人にとって何が失われたかによって、その人の傷が変わるのだから。
その傷の因果関係を普遍的に受け止められる人は違う行動が取れるのだろうけど、理不尽に奪われる身近な命の前に、その言葉は通用しないだろう。

そろそろ話を戻します。
この話は、普通の生活を送っていたはずの、誰にでもあり得る話で、それがたまたま加害者側になってしまったときの話だ。加害者の親がその罪を被って後世を送らなければいけないのだろうか。
特に学生時代なんて、親が子供心をわかっている事なんて、ごくごく限られているのに。

一方で、親である主人公は幸運だったかもしれない。
思春期にあるたいていの子供は、この映画のように親との共通言語(道具)を持っていないように思うから。
そうした意味で、事件後に息子が残した音楽を通じて息子を知る、そして息子に似た若者を知る、という悲しくも奇遇で、そして歌が持つ味わいが哀しくも印象に残る映画になっている。
最近見た映画ではベストな映画なので、是非鑑賞して涙してくんさい。












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