ディスコネクト



監督 ヘンリー=アレックス・ルビン



3つの物語が平行して動く内容。
登場人物は沢尻エリカに似てるし海兵隊帰りでサラリーマンに慣れない一方で攻撃性を見せていて奥さんはドン引きかと思いきやもしかしたらギャップ萌えなの?かと思う作品。(どんな作品?)


入り口はSNS。日常の延長上にある顔も名前もしらない相手との会話。
一人は性的な不満に対する需要に答えるサービスとして、若い男が商品になっている空間。
一人は家庭の不仲と子供を失った悲しみを支える支援サービスを利用した心のケアを相談する空間。
一人はfacebookを利用して孤立している学校の同級生をからかって面白がろうとする空間。

とても現代的なテーマ。

SNSが個人として、そして社会として如何に深く根ざしているかが描かれている。
そしてツールとしてとても平易に利用できるからこそ、個々人において薬にも毒にもなる側面、あるいは波及的に広がる効果という側面が改めて問いかけられる。

僕自身、SNSというのは道具の一つとしてある距離を保って使っているつもりではある。
代表的なSNSで知られているのは、TwitterとFacebookかな。
Twitterでは速報的な情報として、例えば広域災害が発生した時や、特定の事柄に対する反応を得る時に、いち早く情報が得られる性質を持つツールだ。
Facebookは利用者のポリシーに左右されるけど、友人の範囲、あるいは顔を知っている程度、あるいは縁あって繋がりの範囲、あるいは縦横無尽に、というほどに、自分を中心としたある程度に実社会とマッチした関係性のうえで繋がるツールである。

前者は特に足らない日常的な情報や不連続的な繋がりとして、後者は特定のネットワーク内で連続的な繋がりとして。

いずれも共通するのは、自己発信、ということだ。
何を発信するかはその個人個人で異なる。これについて言及すると長くなりそうなので避けるとして、とにかく何でも発信できるのが現代のインターネッツだ。この点についてはみんな孫さんのハゲ頭を日頃拝まねばならない。

インターネッツというのは本当に偉大で、この瞬間地球の裏側の人と繋がることができる。
ブラジル人の知り合いはいないので実際に地球の裏側の人と繋がることはないのだけど、とにかく地理的な要因を排して、どこにいても情報交換というのができるのである。

しかし良い所があれば悪いところもあるのが世の常であって、便利でかつ安易に使えるからこそ、そのツールが社会的効果を高めれば高めるほど、リターンは大きなものになる。
そのバタフライ・エフェクトは大きなもので、ついには死に直面することにもなるのだ。

結論的に何が言いたいのかというと、何気ない事が誰かを傷つけることになるのだということだ。
そしてそれをなんとか最小限にするのは良識でありそれを支えるのが想像力や共感力なのだろう。
SNSという道具を使うことがその攻撃力を何倍にも増加することにもなることで、しばしばそうした注目を浴びるのだけど、根本的な問題はSNSにあるのではないよね。

岩手の中二男子の自殺事件ニュースには本当に暗くなるものがあるけれど、同じような潜在的危険は全国どこにだってあるのだと思うと更に暗くなる。

善と悪が曖昧になっていく現代において、SNSという道具がいかに便利にそして相手を傷つけるか。そうした負の側面を投げかける一作。

想像力の欠如はそれが予想し得ないことを除いて予期できるものだ。
それは想像力の自由を縛るものだと言う声もあるけれど、人を傷つけるという行為においてはその限りではないはずだ。

最終的に何も解決していないのが逆にリアル。
SNSという入り口にしてみれば、現代の誰もが直面し得る問題であり、こうした曖昧な現実に僕らはどうやって対処していけばいいんだろう。

そんなことを思ったり思わなかったり。

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