死に至る病

"絶望は人間の自己を食い尽くすことができないものであり、そしてそのことにこそ絶望の自己矛盾的な苦悩が存するという点から、人間のうちに永遠者の存することを証明しえよう"

死に至る病 (岩波文庫)

著・キルケゴール
訳・斎藤 信治

白石作品群を読み更けているうちに、この本のことを思い出していた。
一通り白石小説を読み終えたらこの本を読もう、そう自然と決めていた。
もちろん白石小説の中でこれが紹介されていたわけではないし、もともといつかは読もうと思っていた本であり、今がそのタイミングだと思って手にとっていた。
やられた。ひどく。
正直にいえば目眩が始まり動機が止まらなくなり、これはまずいと思うほど。
そんなことは初めてだし、結果的には大事に至る事はなかった。と思う。

白石作品群で喚起され、キルケゴールでずどんと。
(続きはタイトルをぽちり)



本作は大きく分けて次の二編からなっている。

一.絶望が死に至る病であること
二.絶望は罪であること

結論を言えば、今の俺には後者はどうでも宜しい。
ヘーゲルに反旗を翻し、遠い昔のソクラテスを呼び起こして実在主義の道を進んだキルケゴール。
哲学を人間個人の問題へと戻し、キリスト教的神への信仰を展開する。
大雑把に言ってしまえば、次のように読んだ。
生とは絶望であり、絶望は罪であり、罪は無知である。
かつてソクラテスは無知の知を説いた。それにならって、キルケゴールは罪の知を言う。
その認識により、永遠者である神の存在を知る。
西洋的な神には馴染めてないし、ここでは置いておく。
俺にとっての問題は前者の第一編である。

絶望(不安)に関して彼の洞察には恐怖を感じる。
どんどん深化していくにつれて、身体が拒否反応を示す。生理現象を起こすなんてことは初めてだ。

個の深化を経て説く実在論。本を読んでいて、危険を感じて休憩を何度も挟むなんて事も初めて。
序盤から中盤にかけて読み進めていくについれ、どうしようもなくなり店の外に出た時、雨雲だったのが晴れ空になっていたことにほとほと救われた。
屋上から見渡す景色を遠く見つめながら、深呼吸をする。
その次は気分転換のため、カメラを手にして歩いていた。

闇闇たる気持ちの中、雲からこぼれる陽光に癒しをもらう。


ああ、みんな凄いんだなって思う。
昨日のページに書いておいて(正確には昨日にセットした自動更新)申し訳ないのだけど、そっと死んでいくとか、もう白紙。
短い時間だし、僕のそれは本当に甘っちょろく浅いものだろうとも思う。反面、それが助けてもくれた。
くるくると一人演技をしまくっているけど、かげがいのない価値ある演技だった。もちろん、まだ終わってないし始まってもないけど。
このGWは脱出することも叶わず、緩やかな縛りで緩やかに風化していくと思ってたけど、全くそんなことはなかった。

明日はGW最終日。
あなたは何をしますか? 僕はきっと僕をやってます。


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