アマテラスと天皇

"我国に在て機軸とすべきは独り皇室あるのみ"




著・千葉慶

政治シンボルとしてのアマテラスと天皇政治の関連性を、歴史から見る本。

もともとアマテラスは一地方神であった。
しかし、天武天皇が「天孫降臨」神話から、"ニニギノミコトがアマテラスより「神勅」と「三種神器」を受け、日本の国土を授けられ統治を命じられる"という物語をから、"天皇の神格化"という国家イデオロギーの基礎を形作る。
以降、アマテラス神話から政治文化の創出を行い、脈々と受け継がれて行くことになるが、その歴史は時代とともに変容していく。
民衆統一であったり、革命の正当化であったり、他宗教の排除であったり、などなど。
時の指導者達が国家イデオロギーの形成にあたり、政治シンボルとしてアマテラス神話を唱えることになるのだ。
当時の支配層が、その時代の流れと伴に政治を行うにあたり、アマテラスを礎とする神道をどのように扱ってきたのかが垣間みれる。

(続きはタイトルをぽちり)




「お天道様」というのはアマテラスのことだが、時代が進むにつれ、"アマテラス政策"により一般人が持つアマテラスへの接点は豊作祈願だけではなくなる。
"おかげ参り"が流行って伊勢神宮に旅にでたり、"公法"が制定されることで神道への生活ルールができたり、"神道国教化政策"による下地作りがされる。
しかし明治政府の近代化政策では欧米諸国に追いつけ追い越せが目標になるため、前代的な神道政策が問題となったりもする。
国民意識の醸成から"神格化"から"世俗化"に政策は転じ、一旦は破錠を迎えるものの、世俗化がすすみすぎて天皇や政府を矮小化する事態が発生し、神道政策はバランスをとり再び推進されることとなる。
そうして帝国憲法体制がなされ、さらに日露戦争を経ると、欧米と肩を並べるという国家目標を実現した日本に、目標喪失により無気力感が広まり、社会不安・不満の顕著化、資本主義の進行、個人主義思想の普及という局面を迎え、またも天皇政治の正当性を支える国家イデオロギーが揺らぐ。
遂には軍部の政治勢力化に至り、数々の事件が発生する。
こうして日本は日中戦争、第二次世界大戦へと突入して、GHQによる人間宣言がされることとなる。

このざっくりと書いた歴史上の遷移には、前述の通り世間を統べるためのシンボルとして、アマテラスや天武天皇、または他の神がその運動に唱えられてきた。
一定に広まっている神道の歴史は、なるほどざっくりと、そう歩んできたのか、という感じ。
先ほど言ったように、「お天道様」だけではなく、国旗しかり、「日出ずる国」という表現しかり、アマテラスを意識することはあまりないけど、"太陽"から連想する日本というイメージは持っていることと思う。
ではアマテラスを信仰しているか、と言われればそれは違うだろうし、そうした信仰心の自覚はない。
けれど、初詣や七五三、厄払いもあれば、合格祈願、恋愛成就、神前式などなど、思えば神道は生活の中に、イベントとして根付いている。
当然、神社に行く習慣を持たない家庭はそうではないだろう。それでも一般的には多くの人は神社へ行く。
それは"習慣"であったり、"何となしに"であったり、"世のしきたりとして"など様々だろうが、やはりここに日本特有の"空気"があるのだろう。
この"空気"がアマテラスと結合し、煽動が起こり、果ては暴走を生み出す。

シンボルが推進剤になることもあれば、時にリスクとなることもある。
そうした怖さについて、知ることが出来る。

儒教や仏教、時にキリスト教を取り入れつつ変容していく神道。
宗教嫌いの日本人、とよく耳にするが、"宗教心"、これをより日本的に言えば"空気"のそれは、しっかりと持ち合せているように感じる。
そして当然ながら俺もその一人なのだ。

皇国史観の本は読んだことがないけど、アマテラスという側面から歴史を紐解く視点が面白いこの本。
気になる人は、読んでみては!

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