滔々と

みなさま正月はいかがお過ごしでしたでしょうか。

正月、ということでここは小生の小話を一つ。

へえ、まず、なぜにこのような文体かと申しますと特に理由はないのでありますが、まあそこは少し昔の日本風に試してみようというところであります。
ええ、お察しの通りねちねちくどく遅々とした語り口でございますので、まあこういったことがお嫌いな方はどこか他所へお行きになった方が賢明と言えましょう。
語り言葉や言い回し誤字脱字等々とおかしな点も多々ありましょうが、まあそこは一つご勘弁をということで続けて参ります。

小生の正月はと言いますと、喪に服しているにも関わらず喪中見舞を出すことを怠り各方面へ御挨拶を申し上げるという役を演じ、また鳥居をくぐる、詣でるといったことは慎まなくてはならぬところをしっかりと詣でてしまい、その事をあとから気付くといったことをしているのであります。
ここで気になる話がございまして、何やら神道においては死は穢れとされるため先の様な事柄は五十日祭を越えてなら良しとする神社があったり、お寺様においては仏教であるため輪廻転成の考えから喪中に関わらずお参りすることは構わないとされるのであります。
そもそも仏教は大乗仏教と小乗仏教に別れるので大乗仏教においては小生の様な民であっても救いがあるためお参りが許されるのでしょうが小乗仏教においては修行僧のみに救いが見出されるため私の様な者は門前払いにされるところでありましょう。
この喪中という切り口からも各宗教を覗く一つの入り口にもなるでしょうけれども本日の小話とはいささか趣を異にするためひとまずこのお話は捨て置きましょう。

(小話の続きはタイトルを押すと続くのであります。)



さてさて、正月といえばみなさまどのようにお過ごしになるのでしょうか。
はて?その台詞は最初に聞いた?
まあまあそう言わず、ここまで読んだあなたはきっと気の長いお方だろうからこの先続く長い小話のためにも、ゆっくり聞いておくんなまし。
正月の時間は家族で過ごされる方や久しいご友人と遊戯に尽くす方、恋人同士で睦まじくいる方、はたまたお勤めに出る方などなど、様々でしょう。
お勤めに出た方はご苦労様でございました。今頃、もしくはこれから遅めの正月を取られているのでございましょうか。
しかしやはりこの正月という時期はどこかゆっくり時間が流れているように感ずるものであります。
懐かしい顔を見て昔を思い出すことや久しぶりの家族団らんの輪に入ることや年賀やおせちなどで日本の伝統文化に触れる心地がそうさせるのでありましょうか。
まあその他にも色々あるでしょうが、やはり忙しい日々と日々の合間の、世間と一緒に年をまたぐ小休止というのが、ほっと息をつくのに良いのでありましょう。

息をつくのは大事でありますが、脳味噌を気分転換させることはもっと大事であります。
激震の2011年を過ごし、ますます変化の激しい2012年へと突入するのに、緊張が続いたままの脳味噌ですと、いつしか糸の切れた凧のようにどこかへ飛んで行ってしまうことでしょう。
何事も休息というのは必要でしょうから、正月やお休みなどのゆっくりした時間の取れる合間に、凝ってしまった脳味噌を解きほぐす気分転換が欲しいものでございます。
気分においてもそれは同じことでありまして、気分転換をとることで脳味噌も気分も以前より晴れ晴れするに違いないでしょう。

さてではみなさまどう気分転換をなさっているのでしょうか。
人にはそれぞれ趣向がありますため、ある人の方法がまたある人の方法に最適であるというのはなかなかこれ難しいところでございます。
小生はといいますと写真や動画の撮影や気に入った本や映画を見ることがそれにあたるところでありまして、最近ですと海潜りもそれに加わるであろうものでございます。
やはりと言いますか、笑うということは気分転換にはとても良いように思われますので、手っ取り早くハイカラな映画が笑いを得るのに便利でして、例えばジム・キャリーやジャック・ブラックやスティーヴ・カレルといった喜劇演者には多いに笑いを提供してもらうのであります。
まあしかし笑うことや体を動かすことだけが気分転換ではなく妄想することも一つの手段でありましょう。
いつも考えていることと全く別のことを考える、あるいは日常から離れた事柄について考える。
まあこれが案外気分転換になるのでありまして、まったく違うことを考えたり妄想することは良い気分転換の一つになるところと思われます。
ですので小説や先ほどの映画といった娯楽に興ずることはその一面でありまして、これからご紹介する2つの作品についても同じことが言えるのであります。
小生がこれから紹介するのはいわゆるアニメと呼ばれる、現実ではない架空のお話なのでありまして、そこには机上空想妄想様々な趣向が凝らしてありますので、日常から分断されるための一つの道具となりましょう。

おっと何やら苦言が聞こえて参ります。
ここからが本題といいますか作品紹介になりますが、これまでは単なる本題への通り道であったのであります。
なんともはや大回りな道でありましょう。それはみなさま以上にここまで話してはたと気付いた小生が一等驚いておりますが、やはり初志貫徹、一難去ってまた一難、毒を食らわば皿までと言いますか続けて参るのであります。

さて最初の一つはこちらにあります"プラネテス"と呼ばれる品であります。


こちらは1999年から単行本が発売され、2003年にはNHKで放送されたものであります。
小生が学生の頃に、この漫画を読んでいた友人から面白いものがNHKでやっている、というのを聞いてこの作品を知ったのであります。
このお話の時代は2070年代の頃合いのお話で、月面に居住区が建設されている時代のお話であります。
2070年代ともなりますと小生はかなりの高齢になりますため、生きているのであれば重力の小さい月面生活で体の負担が軽い生活をしているのかもしれません。
作中で主題となるのは小生の老後生活などではなく、スペースデブリと呼ばれる宇宙ゴミの存在であります。
みなさまの生活で生活廃棄物が出るように、宇宙においても不要となって廃棄された人工衛星やロケットの残骸などの宇宙廃棄物が宇宙空間を漂っており、宇宙開発が進むにつれてデブリの数も増え、ロケットを打ち上げたらデブリに衝突して墜落する、といった深刻な問題に至るのであります。
ましてや宇宙空間を永遠に彷徨うものですから、地球の軌道上に漂うデブリ同士が衝突しあうことで、さらなる二次デブリが発生するわけでありまして、それが意味するところは地球と宇宙が断絶されるという事であります。
この作品の奥行きはそれだけではなく、地上の貧困・紛争問題は未だ根強く残り、宇宙開発の恩恵は先進各国の独占状態にあるとされまして、そうした状況からテロリズムの活動が描かれ、資本主義の陰も表現しているという点があります。
そうした背景がある中、主人子はデブリを掃除するデブリ屋として、様々な登場人物と関わり物語が展開していくのであります。

スペースデブリという着眼点は当時の小生には新しく、また登場人物の人間模様や、作品が喜劇ながらも悲劇を内包している様がとても魅力ある作品でありました。
デブリというそれほど遠くない未来における話ではありますが、宇宙の話を映像を通して空想することは、良い気分転換になりましょう。

さてさて次なる二つ目はこちらの"うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー"であります。


これを見たのは小生がまだ尻の青い小学生の頃でありましょうか。
何やら電撃をはなつ鬼の女子が、女好きでエゴイストの塊である主人公に一途であることが、当時の小生には不思議でなりませんでした。
周りをかためる面々も魑魅魍魎の如く不毛な活躍を繰り返す、活劇恋愛学園生活の物語であります。
この作品の主たるお題は"夢"にございます。
みなさまが思い描く"夢の生活"とは何でございましょうか。
異性に欠かぬ生活、億万長者、世界制覇、などなど、夢とは人によりけりでありましょう。
しかし作中に問いがございます。夢とは何でございましょう。現実の様な夢を見ることが出来るのであれば、それは立派な現実なのではないのでしょうか。
かの浦島太郎は亀を助けて竜宮城へ行き、陸に変えるとそこは幾度の年月が過ぎた後でありました。
では竜宮城へ行ったのは浦島太郎ではなく、村人全員であったら、どうであったでしょうか。
皆等しく同じ夢を見ているのであれば、どうであったでしょうか。
時間や空間を行儀良く考えることが不幸を呼ぶのではないでしょうか。ただ同じ夢を見ることが出来れば、現実という事柄に拘る必要ないのではないのでしょうか。
バクを連れた夢邪鬼と呼ばれる夢を見せる妖怪が、そんな誘惑を仕掛けるのであります。
無論、小学生であった小生は十分お話を拾うことは叶いませんでしたが、今見返すとなかなか見応えがあるのであります。
夢と夢ではないものを隔てるものは何でありましょうか。いまこうしていることが夢ではないという確信はどこにあるのでありましょう。
や、こういった小話は以前違うところでもありましたため、この位にいたしましょう。

何にせよテーマの面白さもさることながら、登場人物の言い回しや会話もまた一興なのであります。
妄想を助長させ夢の中を彷徨う気分。これもまた気分転換になりましょう。


思えば震災後にテレビが壊れ、半年以上一年未満テレビの無い生活を送っていたのでありますが、全く以て生活に問題はありませんでした。
しかしながら物欲という魔物が姿を現し、商品価格も低い水準であるという機会が合致したことでテレビとレコーダーの購入に踏み切れましたが、やはりそこは今まで使わない生活をしていた者、使うこともあまりございません。
そうしたところに、ふと先ほどの作品が目に入り、懐かしさについつい見たくなってしまった、という運びとなり、ついでにここでの小話に至ることと相成りました。

いやはや、ここまで延々と続くとは怖いものであります。
果たしてこの段まで漏れなく見る御仁がどれほどいらっしゃることでしょうか。
そうした忍耐強い方には、どうぞ本年が良い年であるようにとの思いと感謝を込めるのであります。

そうしたところで、この小話もここで終いとする頃合いとなりました。

本年もどうぞよろしくお願いたします。









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