ほんとうの環境問題

"政治家が倫理問題だというのだから、きっと倫理問題なのであろう。つまり炭酸ガスを出さないのは、倫理なのである。それなら息を止めて、みんな死んでしまえ。"

ほんとうの環境問題

著・池田清彦×養老孟司

だらだら書いてたら長くなったのでイントロ割愛。
最近だらだらと書きすぎだな、、

知ってる人にとっては今更な話。
知らない人にとっては目から鱗な話。

ざっくばらんと語る二人の話は目から鱗が大量に落ちてくる。
気候変動に関する政府間パネル=IPCC。
本書内では、世の中まるで、このIPCCという名の商店に足を踏み入れ、世界の科学者の8割はこう言っているんだ!などと、他人のもうけ話を鵜呑みにして商売を始めようとするもんだ、と一蹴する。
確かに、環境問題には流行があるように思われる。一時期話題だった、フロンガスや環境ホルモン問題はどこへいったといったんだろう。
そんな話が出て来たり、二酸化炭素だってほんとかどうか分からない、と言い放つ。

二人の主張はこうだ。地球にある石油を全部燃やしてしまったらどうなるのか計算してみたらいい。そのときに大気中の炭酸ガス濃度がどれくらいになるかを予測し、それを減らせばいい。そこから始めるべき。誰も本気に、ちゃんと考えてない。費用はそういった、基礎的な部分に時間と金をかけるべき。そう語る。
誰も本気でこれをしないのは、そこに商売っ気が優先されるからだ、と。
この一文。
"本当に化石燃料由来のCO2を減らすつもりがあるのなら、排出量の枠決めなんて瑣末なことではなく、化石燃料そのものの採掘量制限をする以外にない。"
それをやらないのは、金儲けが優先されているわけだ。

例えば京都議定書における例。
例えば、もともと日本は高いレベルで省エネできていた。
そこで京都議定書の議長国となり、温室効果ガスの合計排出量を基準年である1990年と比較し、6%削減すると約束した。
議長国である日本は、会議を成功させたいという望みとプレッシャーにより、駆け引きに失敗してこの数字を約束してしまった。
でもこれって絞った雑巾をさらに絞り、水滴を一滴でも多く出そうというような状況になっているようで、そもそももっと交渉の仕方があったはずだと議論がある。
日本はこの約束を守るため、年間一兆円もの金を注ぎ込んでいる。
もしもIPCCの報告が概ね正しいとしても、今世紀末までに気温が2.8℃(本書内予想値)上がると予想された中で、日本が目標値を達成しても気温を0.004℃下げることに貢献するだけである。
そして達成できなかったら他国から排出権を買う。
ここに注目したのがヨーロッパで、排出権取引はヨーロッパが積極的に推進していた。そして今、排出権売買自体がビジネスになっている。
こうなると日本はまんまとカモになる形になるのだと。これをいち早く察したアメリカとカナダは早々に辞退している。
一生懸命削減する一方、他国へも金を払う、日本のマゾっぷり。

「資本は利潤を生めば、どこにでも出動する。」
かつて読んだマルクスの本に確かこんな一文があった。
環境問題という名の市場で、各国や各企業がしのぎを削る。
資本主義の下では、環境よりも何よりも経済が優先される。排出権一つを見てもそれは明らかだと分かったね。

あと、養老さんが面白い事を言っている。
"自分さえやる事をやっていればいい、という独善的な態度が日本人にはあって、それがある種の予定調和と結びついてしまう。
自分がちゃんとしていれば世の中もちゃんとするようになる。ならなかったら、それは自分のせいではない、という態度になってしまう。
「国際貢献」の問題にも環境問題にも、そんな姿勢が表れている。"


あと結構驚いたのが、ゴミ問題の中に、食べ残しによる生ゴミ問題。
食料自給率が低いと叫ばれる昨今、食べ物全体の3割程度は食べ残しで捨てられている。これは全世界の緑料援助量の三倍であるらしい。
ちょっと驚きの数字。これを残さず食べることで、食料自給率は実質的に上がるだろうとも指摘がある。
他にもゴミ関連で、有機物のゴミが廃棄されることによる、周辺の海の富栄養化や海洋汚染など。

環境問題をテーマにすると、結局は全て結びつくから範囲は多義に渡る。
自然環境問題(昔は自然保護と呼ばれていた)、ゴミ問題、国家安全保障問題と分けられ、エネルギー問題だったり食料問題であったり、様々だ。
アメリカが自由経済と読んでいた裏に隠していたものや、バイオ燃料に力を入れたい事情の紹介から、「日米戦争は油で始まり油で終わった」という昭和天皇の言葉の紹介もある。
かつて日本はエネルギーで痛い目みている。そしていま原発の問題でエネルギー問題と対峙している。
いま始った問題ではないのに、日本のエネルギー戦略はどうなっているのかと、こんな端的な話からも疑問に感じてしまう節がある。
海洋資源の話はなかったけど、あったらもっと楽しめたなー。

文明という側面から言えば、端的に言えば文明とは、ひとつはエネルギー消費、もうひとつは人間を上手に訓練し秩序を導入すること、この二つによって成り立っているのだから、この内のエントロピーをどうするか。
このエントロピーという視点も今後覚えておこう。

エコだエコだとキャンペーンし、エコバックを売り出す光景。
そのエコバックを作る事はエコなのか?
エコバックと聞いて最初に思った疑問だ。
そしてこれは養老さんの指摘とマッチする。だからだろうか、ふむふむと納得しては、本を読み進めるのが面白かった。

もちろん、それはどうなのかなぁ、と疑問に思う点もあるけれど、ざっくばらんと歯切れ良く語る内容は読んでいて心地よい。
あとがきも良い。もうとっくに、養老さんはあきれて疲れてしまったいるのかもしれない。

もっと高い所から、全体を見る視点と、本気で取り組むための基礎研究。
なんだかどちらも欠けてるんだなぁ。国も個人もそう変わらないのかもしれない。
そんなことを思ってしまう一冊。

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