いま、目の前で起きていることの意味について

"目の前の現実いどのような意味を与えるか、それを決めるのは、この世界の最終的な当事者である人間にほかならない"

いま、目の前で起きていることの意味について――行動する33の知性
編著 ジャック・アタリ

だらだら書いてたから長文になってしまった。暇人だけどうぞ。なんつって。

イントロダクションは、目次に任せよう。

目次:
I部 世界
1章 民主主義 / 2章 国際安全保障の問題点 / 3章 暴力のない世界は考えられるか
4章 中東の平和は世界平和につながるか / 5章 エイズ-求められる国際的連帯
6章 気候をめぐる諸問題
II部 経済と政治
7章 政治家の役割 / 8章 金(マネー)/ 9章 保険の未来 / 10章 法の未来
III部 科学とテクノロジー
11章 科学の将来をめぐる断想 / 12章 生命の未来 / 13章 科学-変わりつつある人格の概念
IV部 文化
14章 フランスの才能は果たして衰退しているのか / 15章 変化する音楽界
16章 文学および演劇、芸術それとも娯楽? / 17章 現代社会における無償(フリー)の新たな位置づけ
V部 社会
18章 女性の地位は世界中で低下しているのか? / 19章 宗教は我々の行く末を規定するか?
20章 激動する家族と恋愛関係 / 21章 労働-新たな慣行、それとも新たな不安定さ?
22章 麻薬-気晴らしの極端なかたち? / 23章 時間

ご覧の通りの幅広いテーマ群を、各分野における著名人らの討議をジャック・アタリによって編著されているこの本。
この人はどんだけ守備範囲が広いんだ!と思わされるほど、知のオールラウンドプレイヤーのように各パートで持論を展開する。
まるでこの本の中に小教室がいくつもあり、それぞれの部屋でセミナーが開かれているかのように、多種多様の内容になっている。
当然、面白い教室もあれば、興味があまりなく睡魔に襲われる教室もある。
ただ、その道の人達が繰り広げる議論は色んな発見がある。
全く知らなかった事柄や、その視点など、おーなるほどー、という場面も多々ある。(そして多くは忘れるのだ。俺のシナプスめ。)
例えば!
民主主義によって透明性が向上→みんながリスクに気付きやすくなる→保険の必要性がUP!
そう、全体主義とは相対的に、民主主義、つまり自由のある社会においては保険が必要であり、保険が自由を与えていると言い換える事もできる。そしてそれは民主主義の深度と相関している、と指摘されている。
(自由と保険に関して。例えば、車を運転する自由はあるけど、事故などに対するリスクの責任はとりきれない。そこには保険が存在し、僕らは保険の存在で安心して車を運転できる。自由は保険があるお陰で自由でいられる!)
ジャック・アタリは、"民主主義や市場の発展を通じて社会はしだいに個人主義の様相を強めると言える。(中略)その結果、保険が発達するのです。" と言う。
そしてその先が面白くて。 保険が発達し、力を増すのは民間の保険業界。それも市場の原理から、世界の保険業界は、数社の世界的保険会社と少しの再保険会社に支配されるだろうと言う。その結果どうなるか。
国に代わってリスク管理をするのが保険業界になるのだと。
彼らはリスクに関して自分達だけのデータを持っている。リスクへの関心が高まる流れの中で、保険業界は国に代わって、企業や市民、国に対して指示・指導するようになるのではないか、と。
これは危惧すべきことなのか、それとも歓迎すべきことなのか。
一方で、保険会社の出す指示や指導の正当性、合法性が問題になる。そしてこれらは国家主権を侵害する恐れがあるだろうと。
それでもこの流れは避けられないだろうと、アタリは言う。

おー、世の中そんな流れが生まれているのか!
でも民間企業が主導を握って管理するのはちと怖いね。市場競争による効率化で導かれるものは、保険業界では一体なんだろう。
そして国や地域よりも優先して、保険会社の指導を守らなくては行けない日が来るのだろうか。

生物学のテーマも面白い。
"人格というものは科学の概念ではない。人格は法と倫理の概念であって、生物学の概念ではない。"
受精後のどの時点から胚を人間とみなすことができるのか。人工子宮をどう捉えるか。
ここら辺の議論は、かなり根本的な、"人間とは"に関わるテーマ。
生物学的な視点ってあまり持ってない。これについては同じ様なテーマの本を買ってそのままにしてるけど(!)、興味あるところ。
何をもってして、"ニンゲン"と認識しているんだろう。直立二足歩行?五臓六腑?言葉?脳味噌?記憶?
ここは妄想しがいのある領域だよなー。

世界民主主義をはじめとして、アタリは世界的な枠組み強化や連邦化を目指している。
より強力で拘束力をもつ取り決めや、より強い権力を国際機関に付与し、各国を導くべきだとしている。
それは環境問題をはじめとした地球上に存在する問題を、国単位ではなく、"世界政府"として取り組んで行くべきだと主張しているのだ。
国際社会において足並みを揃えるのは困難を極めるのだろうけど、ヨーロッパには歴史と実績があり、フランスがこうした取り組みを率先しようとする場面を、いくつかニュースでも見る。(最近では下のニュース。)
ドル・SDR議論と日本の不在
国際社会の存在感は強大になり、様々な国際的な取り組みが行われているいま、上の記事にもあるが、日本の存在感が薄い。
取り組みの初期段階で、存在感を示してぐいぐい介入して行く事で、それが色々と生きてくるだろうに、途中から入って先に決められたルールに従うのでは利も望める物は少ないだろうし、いわずもがな、あらゆる意味で国際的な存在感と積極的な行動は今後益々重要なんだろう。
そういう点で、アグレッシブな欧米人は強いし、謙虚な日本人は陰に隠れるというイメージがそのまま現実になってしまっているような。
まー日本どうのと言う前に、俺自身どうなんだ、って話もあるけど、それは置いておかないと何も書けないじゃない。

とにかく、アタリの言う事は説得力がある。参加している人達の議論ももちろんそうだ。
そして彼らの知識と視点からの議論から生まれる、未来予想図が面白い。
その中には、原発の話題であったり、先日起きた中東問題の、予言めいたものも見られるから驚きだ!

議論は必要だよね。議論を重ねて俺と一緒にアウフヘーベン起こそうぜ。
いやそのためにはしっかりとした基礎知識と原理が必要だ。
しかし、いかんせん忘れっぽい。シナプスどっかに落ちてないかな。

色んな教室が開かれているこの本。興味があればどうぞ。

コメント