生命のつぶやき -HLAへの大いなる旅-

「誰もが唯一無二の存在である」

生命のつぶやき HLAへの大いなる旅

著・ジャン・ドーセ

HLAは体細胞や血液細胞の表面にあって、特異的免疫応答のために抗原提示するたんぱく質のことだ。HLAについて理解が深まり、適合確認ができるようになったことで、移植の成功率が大きく改善した。著者のジャン・ドーセ氏はHLAシステムを発見し、1980年にノーベル医学賞を受賞した人物だ。
まだ赤血球のABO抗原しか知られていなかった第2次大戦前、ドーセ氏は「赤血球に個体差というものがあるとするなら、白血球にも同様のものが存在しないだろうか」と探求に乗り出した。波瀾万丈な「冒険」を経て、HLA発見に至る経緯が語られる。
自伝の要素と科学史の要素が混在しており、気楽に読むには専門的な内容が多くややハードだが、HLAの基礎を学ぶつもりで読めばとても楽しい教科書だともいえる。
(amazonより)

バタンキュー。難しい。。
本の概要もamazonから転記という体たらく。
一定の基礎知識が無いと返り討ちにあいます。俺は見事にあいました。。
フランス人(というイメージ)だからだろうか、尊大なセリフ回しに、時に回りくどいというか余計ややこしいというか、そんな感触を覚えるのだが、その所以はページをめくっていくと彼の持つ感性だということが分かる。

"みなさんと同じように、この私も、私の遺伝子と身体的・知的環境の働きかけの所産である。ピレネー人の遺伝子とロレーヌ人のそれがまじりあっている私の遺伝子は、ごくふつうのフランス人のよき標本、といったところであろう。"
研究者ならではの観察的セリフから、第一章が始まる。
(この、読者に印象を植え付ける効果的な出だしに、期待と不安が漂ったのは言うまでもない。。)
ジャン・ドーセ、1916年フランス南西部はトゥルーズに生まれ、末っ子として甘やかされて育ったようだ。
自身でも語っているように、両親にしてみればいつまでもちびっ子でいてもらいたく、幼稚園から小学校初級過程まで通学させなかったそうだ。
彼はそれを振り返り、"小学校に行かないでおくと想像力が目を醒ますと人は言うが、まさにそのとおりだと私も思う!"と語っている。
鉄道マニア、いわゆる鉄オタだった子供の頃は、よくメトロの地図で空想にふけ、彼独自の運行システムを描いていたりもした。
幼少時代の記憶はあまりなく、まぁ甘やかされた子供だったな!程度でこの時代の振り返りは幕を閉じる。
学生時代はというと父親が医者ということもあり、彼もまた医学の道を進むことになる。
ある熱情あふれる講義を前に解剖学をものにしたと思いきや、たちまち忘れてしまったり、仲良し4人組のエピソードなどが紹介される。
そして戦争を体験した彼は、補助医師として働いていたことが語られる。

彼の人生で意外というか面白いことに、戦後パリで書店を開いたつもりが、いつの間にか画廊に変わり、いつくもの芸術家たちの作品を展示しているのだ。
彼はギャラリーで多くの芸術家と交流を持ち、サルバドール・ダリを訪ねたり、友人であるヴォルフガング・ヴォルスとのエピソードも紹介されている。
そう、芸術的感性を持ち合せている人であり、本書の文を読んでいればそれは納得することになるし、その感性が研究内容に留まらない本書の魅力に通じているのだと思う。
その一つに、彼は芸術家と研究者の違いをこう表している。
"研究者も芸術家もともに「真理を啓示する」人なのだ。どちらもその時代の認識を乗り越える。どちらもその同時代人の彼方を見る人なのだ。そしてどちらも、その時までヴェールに覆われていたものの境界を飛び越えて行く人なのである。"
芸術家の場合は、その事実は潜在的なものであり、研究者の場合には、十分に現実的なものである、この点が異なっているだけなのであると、彼は語る。

また彼は、今日あるフランス独自の社会保障制度において、当時、医学の大改革の一旦も担ったエピソードが紹介されている。
そしてHLAの大冒険が幕を開けるのだが、、、
徐々にフェードアウトしていく俺の読書意欲。
彼とそれに関わる人々の偉業を認識するには、知識が無さ過ぎた、、、
HLAについてはこちらのページを参照していただくことに。。
自他認識のマーカーで、自分と他者の適合率が分かる事で、臓器移植や輸血などの場面で活躍する他、個々人の素因と傾向から先の病気を予測する予測医学や遺伝子学などなど、その影響は多岐に渡り、人類起源などの人類学にも及ぶ、らしい!
(本書に図示されている遺伝子的距離が面白い。)

ただ、研究を行うにあたり、日々の試行錯誤や同じ研究者達との連携の他、奇跡的なワークショップ立ち上げとその継続や、ドナー達が見せた計り知れぬ寛大さ、など、困難な道の上にいくつもの巡り合わせを見る事ができる。
(ドーセの仲間の1人が作った、スタッフとドナー全ての人達の名前のはいったクロスワードパネル写真が凄い!)

研究に加え、彼の妻が案山子マニアだったり、ノーベル賞受賞イベントの様子を振り返ったりする場面があったり、科学と科学者の責任として、倫理や水問題まで言及している。
(そして彼も女性教育が重要だと語っている。)

彼の言葉をいくつかピックアップする。

"ある人たちは、倫理という言葉は近代においては道徳という言葉の同意語だと受け止めているが、私はそうは思わない。普遍的道徳というものは存在しない、というのも、文化を異にすれば自ずと異となってくるからである。同じ文化の中ですら、ひと世代異なるだけでも別物になったりする。(中略) 一方倫理は、恒久的なものでなけれならない。あらゆる民族、あらゆる文化、あらゆる世代にとって価値あるものでなけれならない。"
そして彼は倫理は"個々人に対して、そのあらゆる次元において敬意を払うべし"と語っている。

"科学は人間を、その動物としての本性に由来するあらゆる苦しみ、あらゆる悲惨から解き放たねばならないという存在理由を背負っているのだ。科学によって人間がそのような苦しみから解放されたあかつきには、人間は、連帯の論理と他者への敬意にもとづきつつ、その叡智を傾けて進化の新たな一段階へと飛躍を遂げることであろう。
無知は人を封じ込め、認識は人を解放する。"


本書の終盤では、通信や情報の高速化がもたらすものについて語る。
異種の文化がが次第に排除されていくという懸念とは対極にある肯定的な意見を彼は訴えている。
地球の端から端が繋がることで、新たな帰属意識、特定の人間集団ではなく、ひとつの全体としての人類の一員という意識が生まれ、紛争の根本をなす軽視の源を消し去るのではないか。
そこに必要なのは、他者への、異質なものへの、寛容であり、互いに払うべき敬意である、と彼は言う。
そしてサン-テグジュペリの言葉を引用する!
"もしもきみがぼくと違っているなら、きみはぼくを豊かにしてくれるんだよ"

他にも、
"自分自身に責任を持つ事は、善意の他者たちに対して責任を持つ事であり、それはまた、子孫と種の未来に対して責任を持つことでもある。そのように自覚すれば、人は己の孤独にいささかの慰めを覚える事もあろう。誰しもがそのように自覚したなら、誰しもが己の運命を受諾し、己の生を引き受け、そして、己の生を、考え尽くした未来へと送り出す事もできよう。"

など。

研究者としてまたそのために自身の倫理を守るだけではなく、芸術にも通じる感性を持ち合せ、彼独自の視点から物事を見つめていることが、本書を読みながらその一端を感じ取ることが出来る。
(しかし残念ながら本丸である研究内容が分かるまでには至らなかった。。)

感性という言葉でくくり、その言葉を認めても、その人自身を表しているかというと、必ずしもそうとは限らないと思う。
例えば俺の場合。
分かったようなことを言ったとしても、それは体験や実感から言うときもあれば、そう受け取った、俺の中ではそう思っている、という種々様々なケースがある。
特に、大した体験もなく"そう思っている"ことは、時として単なる理想を口にしているだけであり、はたまたただの口だけのセリフに成り下がる場合もあるだろう。
だからこそ色んな体験をするべきなのだろうし、その道を通ってきた人達の言葉には重みが備わる。
これについて考えている事は色々あって形になったりならなかったりするので別の機会に書くとして、いずれにしてもジャン・ドーセはその歩みから、本物であることが分かるよね。

全く必要としていた訳でもなく、図書館の本棚でふと手にした本書。
その縁から、彼という人物、HLAという言葉、それによりノーベル医学賞を受賞したということ。
本書を読んでそれらを初めて知り、小さな小さな接点ができた。
そして彼はというと、2009年6月にその生涯を終えたそうだ。
本書を読んで、その語り口の余韻がいま残っているものの、彼の新しい言葉はもう生まれてこないのだね。
そう思うと、見開きのメッセージ、結びの言葉、なんだかちょっと切なく感じる。
そしてジャン・ドーセと再会したい時、その人はこの本を開くのだろうな。
この特徴的な言い回しの語りを、また目にするために。
本って、そういった、"今"がそこにはある。それが好きだ。

あれ、なんで最後こんな感傷的になってるんだ。
少なくとも、もう少しHLAと周辺知識を備えないと、ジャン・ドーセに再会する資格はなさそうです。。

この分野について知識のある人はもちろん、彼のセリフに魅力を感じた人は、一読してみては如何でしょう。

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