日本人養成講座

"私は人生をほとんど愛さない"

日本人養成講座 (パサージュ叢書―知恵の小径)

著・三島由紀夫

三島由紀夫のエッセイ集。

1.ニホン人のための日本入門
2.日本語練習講座
3.サムライの心得
4.エロスと政治について
5.おわり方の美学

「三島由紀夫」という固有名詞は知っていたが、人物や作品についてはほとんど何も知らなかったのだが、ある日この本を手に取り、少し知る事となった。
本作はエッセイ集であり小説ではないのだが、どんな人物像であるか知るには役立つ。
これを読むと、三島氏の根底に流れる"死"の匂いが鼻先を漂う。
芸術に対する"美"の要求というか、その感性に長けた人であり、5.おわり方の美学においても、"ある瞬間に達する崇高な人間の美しさの極致"について指摘し、それと結びつくのは各所に出てくる、"自殺"。(自決と言うべきか)
江藤小三郎青年、白虎隊、八代目市川団蔵、など。背景は様々だが、彼らが"自ら死す"という手段を用いて体現化したものについて、三島氏が心を揺さぶられていることは間違いない。
そして三島氏の中に確固として存在するものが、「二・二六事件」と自分の中にある「約束」だろう。
三島氏の遂げた最期を知ったが、本書を読めばその精神が少し分かる。

おすすめ度:75点

ということで、三島作品をちょっと読んでみよう。


ちょっとメモがわり。
引用がすぎたかな。。

@1.
"口に日本文化や日本的伝統を軽蔑しながら、お茶漬けの味とは縁の切れない、そういう中途半端な日本人はもう沢山だ"

@2.
"ただ文章にはアルコールのように万人を酔わせる共通の要素がないだけであります"

@3.
"想像力とは多くは不満から生まれるものである。あるいは、退屈から生まれるものである"

"ちょうど、ダイヤモンドのかたさをためすには、合成された硬いルビーかサファイアをすり合わせなければ、ダイヤモンドであることが証明されないように、生のかたさをためすには、死のかたさにぶつからなければ証明されないのかもしれない。死によって、たちまち傷ついて割れてしまうのは、そのような生はただのガラスにすぎないのかもしれない"

"実にあいまいもこたる生の時代、戦争や開拓や冒険に満ちていない社会だと前置きし、
そうしている間は、芸術に求められるものは、与える芸術のまだるっこさに満足できなくなって、たちまち芸術をはみ出してしまう。それが過激な政治的行為になる事は、当然である"


@4.
"青年が精神的と考えるあらゆる問題が、より深い意味では、純粋に肉体的な問題にすぎぬ"

"自分の連続性の根拠と、論理的一貫性の根拠を、どうしても探り出さなければならない欲求が生まれていた"

@5.
"芸術に置ける虚妄の力は、死に置ける虚妄の力とよく似ている"

"われわれは新しい核時代に、輝かしい特権をもって対処すべきではないのか"

"もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである"

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