proof

「振り出しに戻って一つ一つはじめよう」



邦題:プルーフ・オブ・マイ・ライフ

主人公キャサリンの父親は、若くして数学界の革命者とされた数学界の権威だが、精神的に不安定。
大学を中退し父親と同居するキャサリンは、父親の才能を受け継いでいる。
父親が死去した後、数学者が長らく誰も出来ない定理の証明を示すノートが発見されるのだが。。

物語が若干わかりにくかった。
過去と現在の移動が断続的に、しかも突然起こるので、話の中の時間を頭の中で修正しなくてはいけない。

映画のテーマは「証明」。

真冬の晩に父が示した証明の概略と、その後父が「発見した」と喜んだノートの内容もそれであった。
定理を証明できたキャサリンは、父が病んでいる悲しみと、父への敬意から机の中にそのノートを隠す。
この過去の事実をキャサリンが訴えたとしても、誰も見ていない、誰も信用してくれない。

しかし、ハルを徐々に信頼していくキャサリンは、ノートの存在をついに明かす。
しかしハルは、定理の証明者が誰か問われるシーンでキャサリンだと断言できず、二人の距離は遠くなる。
キャサリンはハルの「信頼」によって証明されたかったのだ。
この映画が言いたいことは、その点なのだろう。
ノート、知能、日付、筆跡、内容などからの手がかりを検証し、結論が出ないと証明できないのか。
検証すればそれが証拠になるの?
信頼からは証明は出来ないのか。
キャサリンからそう問われているような気がする。

確かに、日ごろ物事を信頼だけで決める事がすくない気がする。
物事が大きくなるにつれて、よりその傾向は増す。
確かに何かを証明するには客観的評価が必要になる。
事実は?実績は?証拠は?根拠は?
でも人と人との繋がりだから、最後は「信頼」なんだよね。
そしてこれが一番大変なんだと思う。

話をしっかりと把握するためにも、もう一度見ようかな。

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