あなたが普段本を読む場所ってどこですか?
人によっては相当な努力を要する場所なのかもしれない。如何に自分が鈍感に生きているかと思わせるような内容だ。
本はあっても、読む場所がない!という著者の痛切な叫びが響き渡る本書。
どこでだって本を読むことができるが、快適に本が読める空間、というのは実は稀である。なるほど言われてみれば思い当たる節もある。コーヒー一杯で何時間いるのだという負い目を感じることもあれば、何度も注文する気恥ずかしさもあるし、そもそも他人の会話や距離などで気が散る場合もある。
読書という行為に対する社会の関心の低さ。
いたるところで著者が感じているそのことと、そのエピソードが第一部の内容だ。
そして第二部では、それに対する解決策を提供しているお話だ。
フヅクエという場所で、読書のための空間を提供しているそうで、是非とも行ってみたい。
僕にとって本を読む場所ってのは、静かな場所だったらどこだっていい。
本と、集中できる環境と、適度に座り心地の良い椅子があればそれでよい。
どちらかというと、自分の気分と本自体の魅力によって、どこまで継続して読み続けていられるか、が決まる。
なので、場所も大事だけど、それ以上に自分のコンディションも大事。
だから、お酒飲みながら読書する著者のスタイルはよくわからない。酒なんて飲んだら愉快になって読書どころではなくなる。
立ち読みバーってなんじゃらほい。
浅田次郎は昔に短編集を読んで、ウェットに富んだ人物や話が多く好印象だったが、鉄道員(ぽっぽや)も読んだこともなくあまり長編を手に取る機会はなかった。
この本は「地下鉄(メトロ)に乗って」とペアになるような作品のようでそちらも読んだことはないのだけど、店頭で目に止まりなんだか気になり手に取った。
結論、手に取って良かった。
主人公は定年退職を迎えた男性が、退職当日の帰り道に地下鉄の階段で意識を失うところから始まる。そこから奇妙な物語が繰り広げられるのだけど、最後になるほどー、という展開が待っている。
非常に色々な感情を伴って読んだ本作。そういえば電車移動の中でどんどん読んでたな。やっぱり本の魅力(とそれを読む自分のコンディション)は大事、という当たり前の話、か。
しかし蓋をあけるのって自力じゃできないんだよなぁ。巡り合わせ、ってのもあるのかなー。
コメント
コメントを投稿