富山DE鋳造

先日友人を訪ねに富山へ行ってきた。
過去に金沢へ2回ほど車で行っているものの、富山はいつも通り過ぎる場所だった。
のどかな田園の中に、屋敷とそれを木々で囲んだ屋敷林が点在する風景を横目で見ながら北陸自動車道を走らせて。
しかし今回は、初めて北陸新幹線を使った鉄道の旅で、初めての富山で初めての体験をした。その一つが、鋳物制作体験だ。
行きの新幹線の座席に備わっていたパンフレットに、錫(すず)で器を作製できる体験教室の情報を発見し、当日予約で滑り込むことができたのだ。

能作、という会社をそこで初めて知ったのだけど、鋳物メーカーであり100%錫を使用した商品で人気を博しているそうだ。通常は硬度を持たせるため他金属を加え行う錫の加工を、高い加工技術で錫100%の製品を制作し、"曲がる金属"という、通常金属に求める硬度とは異なる、逆転の発想を用いてヒット商品を生み出したとか。
消費者ニーズを掴み取る販売員、その意見を取り入れ製品開発する体制、弱みと思われるものをむしろ強みに変える発想と、オリジナル商品を作ろうとする熱意。
こうしたものが能作の成長のエンジンになっている、のかなと想像する。

さて体験は富山市のお隣、高岡市にある能作本社で行える。
ちなみに高岡市は銅器で有名で、日本における生産額95%相当がここ高岡市で作られているそうだ。そのことから、通称高岡銅器と呼ばれるらしい。歴史的に鋳物の生産が有名なここ高岡で、鋳物制作体験ができるのは何ともありがたいこと。
(高岡銅器などの情報は後から調べて分かったのだけども!)

能作はデザインを大事にしているようで、本社建物はモダンでかなりオシャレ。
制作教室もこの通りだ。

体験コースでは、何を作るか決めてから制作に望む。
ぐい呑、小鉢、トレーなどいくつかの中から選択できるのだが、当然ぐい呑一択。
ぐい呑も2種類あり、いわゆる標準的な形状か、少し深さがあり口先が広がった難易度の高いタイプか、があるのだが、後者を選択。
たまに失敗する人がいて、バリばかり、あるいは形が崩壊するものもあったりするそうだ。慎重にやらなければ。

さて作業工程はどんなものか。高岡銅器は、伝統的に以下の流れに沿うらしい。

  1. 原型の製作
  2. 原型を基に形を型取る鋳型製作
  3. 鋳型に溶解した金属を流し込む鋳造
  4. 溶接
  5. 研磨などの仕上げ加工
  6. 彫金着色による加飾を経て完成

これらは、「生型鋳造法」と呼ばれる手法らしい。
少量の水分と粘土を混ぜた鋳物砂を木型の周りに押し固めて鋳型をつくる鋳造法で、鋳型を焼成・薬品処理しないため、砂の再利用が容易で、量産性に優れているとのこと。能作HP調べ。
写真にある赤土っぽいのが鋳物砂で、くっつけるとまとまるものの粘土までベタついておらず、細かくするとサラサラになる、そうした砂だった。
ちなみに、この鋳物砂の配合は割とデリケートのようで、配分を間違えると出来上がりが変わってしまうのだとか。丁度先日のカンブリア宮殿で能作が出ていてそんな解説をしていた。

この内、体験教室では、2、3.(先生が実施)、5を行うことになる。
3.まで完了したところが以下の写真だ。
錫は融点が231℃と他の金属に比べて低く、フライパンですぐドロドロに溶けてしまう。
溶鉱炉かなんかでドロドロになったものを注いでいくイメージが合ったので、別の場所でそうした作業をするのかと思いきや、もうキッチンのガスコンロで錫の延棒が溶けていくもんだから不思議な光景だ。
型に注ぐと、あっという間に固まってしまう。
なんだかとってもインスタントな金属である。熱しやすく冷めやすい。親近感が湧く。

さてここからが本番、というかむしろ結果が見えないだけである意味決着はついている。
型をゆっくり外して見えてくるぐい呑、その姿は如何に、の緊張の瞬間。

欠けることなく美しいぐい呑が現れた!こんなにも綺麗なぐい呑ができるだなんて。

まぁこれは友人のものだ。僕を含めて3人いるうちの2人とも綺麗に出来上がった。

さて次は僕のターン。僕のぐい呑や如何に!?


これである。

予期せぬバリができている。いや、正直に言えば予感はしていた。
何故なら工程の途中で、ぐい呑のお山が一度崩れてしまい、先生の力を借りてなんとかお山を修復するイベントが発生していたから。

むしろ崩壊したと思っていたので、ある意味セーフ!な心持ち。

先生からは他の完成品に変えようかと提案があったが、せっかく作った我が子をそうあっさりと他のものには変えられない。変えられるわけがない。この子をどう使えるものに仕上げるか、が次のステップだ。

さてあとは仕上げの工程。滑らかな口にするよう周りを細かく研磨していく、あるいは全体を磨き上げる、底の方に日付やイニシャルなどを刻印する、などができる。

この時間、ただひたすらにバリを取るべく無心に研磨した結果、なんとかここまでに仕上げた。この不細工だけど他に無いバリという個性になんだか愛着が湧いてきたので不思議だ。日本酒を呑むにあたっても問題ない。

最後に先生に、なぜだか「変えずに選んでくれてありがとう」と言われた。
これを溶かせばまた材料としての錫に戻り他の物に使えたかもしれない。それでも一度、「形」を与えて「モノ」となったその時点で、このぐい呑の存在がこの世に起こった。そう考えたときに、その存在を否定(=溶かして無かったものに帰すこと)をせず肯定してくれて、ありがとう、ということを言っているのだろうか、とその言葉から感じ取った。
そこから、「この先生は鋳物が好きなんだな。ものづくりが好きなんだな。」そんなことを思ったりした。

実はそんなことはなくて、一度作ったものは製品材料としての錫としてはもう使えず破棄しなければいけない、それはもったいない。もっと言えば、代替品を用意することで、コストが更にかかる、というものだったのかもしれない。

僕にとってはどちらでもいいが、お人好しなので、前者のロマンを受け取るけれども。

とまぁそういうことで、男子3人一行は金沢へ移動し、街へ繰り出す前にさっそく作ったぐい呑で乾杯した。
錫ってのは熱伝導が高く、熱湯を入れれば持てないほど熱くなり、冷たいものをいれればすぐにヒンヤリした器になる。

これで呑む冷酒はまた格別なのだ。


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