“それは気づけばすぐそこまで身を寄せていて、僕の心のものになってしまいそうになっているのに、僕が今まで気が付かなかったものだった。"
著・住野よる
この本が流行っていたとき、ハードカバーで読んだ妻が ”ありきたりの物語” と言っていたのに興味を覚えて、どれどれ読んでみるか、と思っていつか読もうと思っていた本。ついに読まない内にBook Offへドナドナされてたのか我が家にはその痕跡がなくなっており、文庫本が出ていたので読んでみた。
あらすじを引用するとこうだ。
ある日、高校生の僕は病院で一冊の文庫本を拾う。タイトルは「共病文庫」。それは、クラスメイトである山内桜良が密かに綴っていた日記帳だった。そこには、彼女の余命が膵臓の病気により、もういくばくもないと書かれていて――。
男子高校生の一人称によって物語が進んでいくのだけど、賢しげな言葉使いに違和感というか読みづらさを感じる。年相応さを感じられないというか、主人公にあまり感情移入できない人物像だからだろう、途中途中ジョークつもりの言い回しが妙に寒々しく感じる。
話の中盤くらいから、主人公とヒロインとの心理的距離が近づきつつ、影響を受け変化が感じ取れるようになってから、無駄に硬い言い回しが減り、少しずつソフトになっていくことでようやく、ある意味で普通の文章になっていく。
物語がピークを迎えるのは、想定はしつつも意外な角度で訪れる結果と、それによって明らかになるヒロインの主観、そして主人公とヒロイン両者が使ったあるキーワードの交差、のあたり。
クロージングは大団円。
主人公の一人称語りの言葉の変化は即ち彼の変化を表していて、それはこの小説の骨格でもある。
その変化の経過を読者は主人公とヒロインとの物語から読み取っていくことになるのだ。
(…と思っていたのだけど、序章を再度読み直してみると「?」を感じる点もり、単に時間経過と共に硬い言い回しを維持しなくなった、単に作者側の気分の問題もある?、という疑問も感じてしまう..)
物語のピークでは目を少し潤ませながら、”妻はなんて冷徹非道なんだ!鬼か!"なんて思っていたが、読み終わってみると妻の感想を否定できない自分がいるのに気づく。
うーん。高校生らしい夏の爽やかさとともにさらりとした終わり方。
それはそれでいいんだけど、ターゲットとした読者層向け、ってことかな。
むしろヒロインの親友が抱えていた複雑な気持ちを、彼女自身がどう対峙したか、というところに純文学的可能性の匂いを嗅ぎ取るのだけど、そんなことは本書の焦点ではないためさらっと、むしろ魔法のように流されてしまった。これが若さか。
映画が公開されているようだけど、そっちはどうなのかね。
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