海辺の扉

“人間の心は、なんだか遠くの雨のようですね”

著・宮本輝







主人公の男・宇野満典は、とある傷を負ったことで日本を離れ、異国の地ギリシャで日々を暮らす。
人を欺き自分も欺いてギリシャという地に行きついたのだか、この国は外国人に職を分け与えるほど裕福ではなく、そういう環境で生活費を稼ぐためには普通の仕事ではないことにも手を付ける必要があったりする。
そんな中、いつもよりリスクのある仕事に手を出すことになったことをきっかけに、これまで欺きつづけてきたことや、過去と向き合い始める物語が始まる。

この本は上巻と下巻に分かれている。
上巻は暗い過去と一緒に生きる男が組織的犯罪の片棒を担ぐ、サスペンス要素を持って展開していくのだけれど、徐々にその布石が目につくようになる。そして下巻になって日本に戻ってきたことで、物語の辿る道が、宮本氏の持つ仏教的価値観に昇華されていく。

この話をどう咀嚼すれば良いのだろう、、というのが正直な感想だ。

それを探るのに、なぜギリシャという国を選んだのか、そこに一つのヒントがあるように思える。
過去の栄光をその血に宿す一方で、街には慢性的なインフレによって職にあぶれる人が溢れている国。
作者がギリシャを取材した1983年を基に、ギリシャの街や人の様子が描かれていて面白い。
作中、こんなギリシャの諺が使われている。
曰く、“ギリシャ人はギリシャ人にしかなれない。だが、よその国の人間はギリシャ人になれる。”
時に主人公の口からはギリシャ(とヨーロッパ的なもの)を批判する言葉が出てくるのだが、読んでみて思うのは、どこか日本人と似ている点を、著者は感じていたのではないだろうか、ということだし、そうした考えをいくつか見つけられる。その諺もその一つだ。

タイトルの海辺の扉、という点にもヒントがあるのだろう。
ここでいう海辺とは、エーゲ海のことだ。そこに位置するミコノス島で、その扉は現れる。
おそらく著者は、そこで見た風景、あるいは主人公たちが黒い雲に覆われたあとに見た光景を実際に目の当たりにしたことでインスピレーションを得てこのタイトルを思いついたのかもしれない。
それはまるで、黄泉の扉であるようにも感じられるし、ラストの暗喩がそうとしか思えないのだが。。
そういえば、結局のところ主人公は一人の女性に救われたのだった。賢く忍耐強く、惜しみのない愛情を注いでくれる女性に。
錦繍に出てきた令子も似た性質を持っていたのだけど、他の作品でも出てくるのかな。


そうしたわけで(?)、一見全く異なる国に生きる人々の中に、似たところを見つけた著者が、まるで作中に出てくるマッチのようにお互いをひょいっとくっつけて出来たのが、本作なのだろう。
なぜギリシャを舞台に、自身の仏教観を説きたかったのか。
うまく答えを見つけられないけれど、著者にとって、それは遠くの雨のままにしたくなかったんだろうなぁ、とふと思ったりする。

まとまりのない文になってしまったけど、まぁいいか。

コメント