大げさなタイトルだけど、何もこれから僕の魂がふるえたときの小話をしようとしているのではなくて、れっきとした本の題名である。
たまたま図書館で見かけて、タイトル借りした本。
魂がふるえるとき
心に残る物語 - 日本文学秀作選
宮本 輝編
Amazonの紹介にはこうある。「吉行淳之介、川端康成、武田泰淳、永井荷風らの、意外な作品も含む16篇を収録。文春文庫創刊30周年記念企画。」
僕は文学少年ではないので知らない名前も多いのだけど、どれもみな味わい深く、読後の余韻に浸らせてくれるものが多い。
こういうものを読んでいると、つくづく、"語られないこと"、"描写されないもの"、というものがもたらす"余地"が、いかに豊かな表現方法であるかを思い知る。
一つここに拾い出すとしたら、読後、奇妙にも現実との(若干の)リンクが発生した、水上 勉の「太市」に触れておこうと思う。
これは昔どこかで読んだ気もするのだけど、一向に思い出せない。
物語はだいたいこうだ。
田舎の村で、夫を戦争で亡くし女手一つで息子を育てる人がおり、その息子は病気を持っていて体が不自由で家の納戸で寝たきりだった。名を太市といった。
彼は小学生なのだけど、学校にはいけない。一方、その頃男子たちの間で流行っている遊びは女郎蜘蛛を捕まえ、育て、お互いの蜘蛛を戦わせることであった。
ざっくばらんに言えば自分の育てたモンスターを戦わせ合わせる、ポケモンゲームのようなものだ。
太市の母親は、学校にいけない息子のために女郎蜘蛛を捕まえ、友達と遊べるようにしたのだが...
子供の純粋な行為と生々しい描写に圧倒される。
もし動物愛護団体が女郎蜘蛛も保護の対象としているのなら、生物を弄び倫理規範に外れる行為に非難殺到が想像できるけど、哺乳類ではなく昆虫だから対象ではないのかもしれない。
それほど描写の生々しさが際立ち、ゾクリとするものがある。
旅先のお供に持っていていたので、これを深夜に読み、真夜中の大浴場に一人ポツンと入っていたときは、心の隙間から妙な恐怖感が湧いてきたことは恥ずかしくも記憶していることだ。
若干10ページの短編ではあるのだけれど、その凝縮感と、何とも言えぬ余韻に僕の心は動揺してしまったのだ。ふるえるというか動揺。
一方で、この物語に流れる独特の艶かしさというのが、妙に日本っぽさ、日本の文学感というものを(勝手に)感じさせられる。
夏の怪談話というか、湿度の高さというか。
ちなみに、翌日の散策中、全くもって偶然にも女郎蜘蛛を、しかも大量に発見した僕は、動揺が続きっぱなしなのでありました。。
(元々蜘蛛は苦手。もしかして昔これを読んだことがあるからか、、?)
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