人間の条件 (ちくま学芸文庫)
青色本 (ちくま学芸文庫)
こんにちわ。GWはみなさま如何お過ごしでしょうか。
僕はというと晴れた朝に海岸へ散歩して海を観ながら朝食を食べていたらトンビにサンドイッチを取られ、海風が冷えるなぁと思ったその日に風邪を引くなんてことをして楽しんでおります。
そしてどうやらその風邪が妻へうつってしまったようで、少々の罪悪感を抱えてささやかな看病をしている最近です。
そんな休みの日を利用して、遅々として進まなかった二冊の読書を終えました。
この二冊、どれも読むのが辛い本であるというのが共通する点。
何が辛いというと内容が難解で書いてある文字がただ記号の並びのように見えたり、読み解いていってもクエッションが消えなかったりする。そして遂には眠気に教われるのだから、時間を浪費しているという観点からいっそ読まなければいいのにとすら思ってしまうような本。
でもそこは読み始めた事に対する意地と言うかムキになっているというか。
幾日にも分割して何とか最後のページをめくったわけだけども、そこから分かったことは特段無いというのがある意味予想通りだからやはり阿呆な性格のしからしむところなのでしょう。
かといってはい終わりではさすがに身もふたもないので一応一言書いておこうかと。
人間の条件についてはさすが膨大な知識を教養を備えた著者であり、昔の偉人や著書から数々の引用を持ち出し内容の層をこれでもかと厚くさせている。
数々のアフォリズムには本質的な迫力を持って時に現代に横たわる問題を明らかにする印象を受けるし、労働、仕事、活動の区別は僕らの行為について再認識させてくれる観点です。
内容が膨大なためどこを切り取っても大変なものではあるものの、強いて言えば、終わりなき消費社会の過程にいるなかで、もはやそれ自身の空虚さを認める事ができないという一節は1958年に書かれたにも関わらず今にも通用するものであり、本書の語る本質性は耐久性のあるものであることが分かります。
昔、その著書が難解でさじを投げさせられたハイデガーの元恋人だというハンナ・アーレントもまた、僕にとっては難解なのでした。
「語り得ぬものについては、沈黙せねばならない」で有名なヴィドケンシュタイン。
青色本はヴィドケンシュタインの哲学講義を受けた学生のノートが基になっているらしく、彼の哲学講義を疑似体験できます。
言葉の用法用量を正しく使う事で正しく命題に対して近づけるというもので、本書は話の展開に振り回されてしまうけれど、正しく哲学するには何を問わなければいけないか、という観点ではその道の人に役に立ちそうです。
僕はその道の人ではないのでなかなか読むのに辛抱がいりました。。
しかし自分の扱う言葉がどのような規則と作用に則るかというのは僕には重要と思われるのもまた事実で、その意味で本書から何とか読書の恩恵を被りたいのだけども、一度読んだだけではやはり難しい。
本書はヴィドケンシュタイン後期の作品で、どのような経緯を経てこの本にたどり着いたかを知るには別の書にあたらなければいけないですが、きっとそんなこたぁしません。
ということで自分で作った読書の呪縛(?)から解かれたのでしたという何にもならないお話なのでした。
コメント
コメントを投稿