朝の通勤風景をかいくぐり、長崎駅へ到着。
当然ながらというか、周りはサラリーマンや学生が大半を占める。
駅前に出るとすぐにあるのはバス停と路面電車の駅だ。
路面電車のある風景は新鮮というよりも、懐かしい気分になる。
僕の地元は路面電車が走っているが、最近は新型車両が専らで、昔の愛着ある顔の車両ではなくなっている。
その点、長崎の路面電車は昔懐かしい面構えだ。地元で言うところの、7500系だと推測する。ちなみに僕は、7000系の方が好きである。
とりあえずそうした事はおいておいて、路面電車で朝一の目的地へ向かう。
ちなみに路面電車は学生の通学の足になっており、サラリーマンに混じって学生の姿も多い。
PASMO/SUICAが使えるかと思いきや、路面電車は長崎専用のICカードでないとだめらしい。
小銭の用意に慎重にならざるを得ないのだけど、観光客向けの一日定期券を後になって知る。
最初の目的地は、平和公園と原爆資料館だ。
広島にも長崎にもかつて踏み入ったことはないので、長崎に来たのなら一度行っておこう、という場所。
公園には各国の寄付像が建っており、一番多いのは母と子の像だ。
生命の誕生と喜び、そして尊さと愛しみを象徴する母と子の像。
はじめに見たときはそう思っていたし、事実そうした想いが込められているのだろうなと思う。
一方で、その後に入館した原爆資料館で目にする数々の悲惨な資料の中で、目をそらしたくなるような母と子の写真があった。
それを目にしたときにあったのは、無条件な拒否反応だ。
何とも言いがたい、あの生物的な嫌悪感や憂鬱な気持ちは、きっと少なからずあの像に反映されているのだろう。
むしろ、そのことがあの像のテーマになった強烈な動機である気がしてならない。
(そうした惨劇の有り様は、他の像でも目にすることがあった。)
朝の早い時間、館内には来場客が僅かしかいなかったが、ひとりの外国からの観光客が、静かに途方に暮れていた。
惨劇の光景を目の前にして誰もが嫌悪感を覚えるだろう。異常者でない限り。
問題は、惨劇を起こすトリガーを持っているのは、現場から遠い人である事だ。
惨劇の事実を知っているからといって、それが色褪せていくか否かは当事者であるかないかの隔たりがあるんじゃないだろうか。
僕も含めて、強烈な体験をした当事者でない限り、全体的なバランスを考える側に立つんだと思うし、それが人、ひいては政治というものなのかもしれない。
民主主義という最大公約数の上に立った政であれば、多かれ少なかれそのバイアスは働く。
だからといってそうしたことをないがしろにするのは間違いであると思うし、なんだか話がずれてきたのでここで修正しよう。
こうした定番の場所に必ずいるのは、修学旅行の学生団体だ。
平和公園に到着してみれば、平和祈念像の前で記念写真する学生団体。なんだか懐かしい。
その隅っこで、正座させられて怒られる男子生徒。それを怒る、スキンヘッドの強面の教師。(割と普通にイカツイ)
そんな微笑ましい光景を脇に見ながら資料館へ足を向けたのだけど、資料館鑑賞中、予想通りに団体がなだれこんでくる。
振り返れば自分もそうであったように、彼らもまた退屈な時間をいかに消費するかということで、他愛もない会話や行動に出る。
僕は雑然としてきた資料館を早々に立ち去るのだけど、なんだか懐かしい気もするのは、きっと学生というものは、過去や未来のことなんてあまり考えず、目の前のことだけに集中して時間を使っていたんだよなぁ、ということを思い出したから。
なんだかこのままいくと文章がキモイのでこのあたりで終わり。
長崎編はまだまだ続きますよー。
当然ながらというか、周りはサラリーマンや学生が大半を占める。
駅前に出るとすぐにあるのはバス停と路面電車の駅だ。
路面電車のある風景は新鮮というよりも、懐かしい気分になる。
僕の地元は路面電車が走っているが、最近は新型車両が専らで、昔の愛着ある顔の車両ではなくなっている。
その点、長崎の路面電車は昔懐かしい面構えだ。地元で言うところの、7500系だと推測する。ちなみに僕は、7000系の方が好きである。
とりあえずそうした事はおいておいて、路面電車で朝一の目的地へ向かう。
ちなみに路面電車は学生の通学の足になっており、サラリーマンに混じって学生の姿も多い。
PASMO/SUICAが使えるかと思いきや、路面電車は長崎専用のICカードでないとだめらしい。
小銭の用意に慎重にならざるを得ないのだけど、観光客向けの一日定期券を後になって知る。
最初の目的地は、平和公園と原爆資料館だ。
広島にも長崎にもかつて踏み入ったことはないので、長崎に来たのなら一度行っておこう、という場所。
公園には各国の寄付像が建っており、一番多いのは母と子の像だ。
生命の誕生と喜び、そして尊さと愛しみを象徴する母と子の像。
はじめに見たときはそう思っていたし、事実そうした想いが込められているのだろうなと思う。
一方で、その後に入館した原爆資料館で目にする数々の悲惨な資料の中で、目をそらしたくなるような母と子の写真があった。
それを目にしたときにあったのは、無条件な拒否反応だ。
何とも言いがたい、あの生物的な嫌悪感や憂鬱な気持ちは、きっと少なからずあの像に反映されているのだろう。
むしろ、そのことがあの像のテーマになった強烈な動機である気がしてならない。
(そうした惨劇の有り様は、他の像でも目にすることがあった。)
朝の早い時間、館内には来場客が僅かしかいなかったが、ひとりの外国からの観光客が、静かに途方に暮れていた。
惨劇の光景を目の前にして誰もが嫌悪感を覚えるだろう。異常者でない限り。
問題は、惨劇を起こすトリガーを持っているのは、現場から遠い人である事だ。
惨劇の事実を知っているからといって、それが色褪せていくか否かは当事者であるかないかの隔たりがあるんじゃないだろうか。
僕も含めて、強烈な体験をした当事者でない限り、全体的なバランスを考える側に立つんだと思うし、それが人、ひいては政治というものなのかもしれない。
民主主義という最大公約数の上に立った政であれば、多かれ少なかれそのバイアスは働く。
だからといってそうしたことをないがしろにするのは間違いであると思うし、なんだか話がずれてきたのでここで修正しよう。
こうした定番の場所に必ずいるのは、修学旅行の学生団体だ。
平和公園に到着してみれば、平和祈念像の前で記念写真する学生団体。なんだか懐かしい。
その隅っこで、正座させられて怒られる男子生徒。それを怒る、スキンヘッドの強面の教師。(割と普通にイカツイ)
そんな微笑ましい光景を脇に見ながら資料館へ足を向けたのだけど、資料館鑑賞中、予想通りに団体がなだれこんでくる。
振り返れば自分もそうであったように、彼らもまた退屈な時間をいかに消費するかということで、他愛もない会話や行動に出る。
僕は雑然としてきた資料館を早々に立ち去るのだけど、なんだか懐かしい気もするのは、きっと学生というものは、過去や未来のことなんてあまり考えず、目の前のことだけに集中して時間を使っていたんだよなぁ、ということを思い出したから。
なんだかこのままいくと文章がキモイのでこのあたりで終わり。
長崎編はまだまだ続きますよー。
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