"ぼくたちはすれ違ってない。端と端を結んだ輪になって、ひとつにつながってるんだ"
ぼくは明日、昨日のきみとデートする (宝島社文庫)
著・七月隆文
本作は、京都の美大に通う男 南山高寿と美容専門学校へ通う女、福寿愛美のお話だ。
タイトルを見るだけで、ある程度どういった内容かは推測がつくし、筋としては大方予想通りだ。
しかし、それでも読み終わったあとには、小説の余韻に包まれていた。
読みはじめのうちは、自らが思い描いてる物語との整合性を確かめながら、「なるほど想像通りだ」なんて思いながら読みすすめていた。
「これは伏線だな」「後からこれにどんな意味を持たせるのだろう」「もしかしたらああいう設定かな」という風に、まるで答え合わと着地点の微調整をするかのような、斜に構えた読み方をしていた。
だから、途中までは、「これはタイトルミスだろー。キャッチーだけどその分ネタバレ感溢れる、諸刃の刃だなー」とか思ってたんですよ。そう、途中までは。
中盤以降、いつの間にかそんな邪推メガネを外して引き込まれている自分がいた。
もうね、分かってるんだけどね、分かってるんだけどやっぱそうなっちゃうんですよね...
なんというか、最後まで読み通すことで、物語はその構造をあらわにし、この本を一つの「作品」に仕立てあげる、実に鮮やかなものだった。
冒頭のセリフがあるように、二人はまるでメビウスの輪を描くように歩み、すれ違い、お互いの事を確かめ合う。
その輪の交差点が物語の中盤であり、読者が引き込まれるポイントであり、著者の巧みな技なのだ。
そう、切ないまでに、すれ違いはとまらない。
連続するすれ違い、でもすれ違わない二人の軌跡が、たしかに一つの輪になっていることを知ったときに、この物語は完成する。
ちなみに、この本に関する余談があって。
実はこの話、この本が最初ではないのだ。僕はこの話を知っていたのだ。
何故か。
去年妻から全く同じ設定の話を聞かされていたから。
この本の初版は2014年8月で、僕は同じような時期にこの話の骨子を彼女から聞かされていた。
アイディアと妄想力に富み感受性の高すぎる彼女は、そのアイディアを語りストーリーを語るにつれて、大粒の涙を流しては目の前にいる僕を途方に暮れさせた。
「おいまじか。感受性が高すぎて自分の考えたストーリーを頭のなかで展開して完結させて号泣してるぞ...」
これは一発芸か何かかと戸惑ったあの日。
もちろん、この小説の存在なんて当時知る由もない。
そして時は流れ、先日本屋で見つけた際はそんなことは忘れており、タイトルに惹かれて偶然にもそれを手にした僕。
あの時の話が今ここに、全く知らない作家の小説としてこの手にある衝撃。
当人にこれ読むかと聞けば、こう返ってくる。
「いやもうそれ知ってるから。原案は私だから。印税入ってくるかな?」
ですよね、失礼しました。印税は入ってこないですけどね。
いやぁ、世の中不思議なことはあるものですね。
ちなみに、この話はきっと映画化するんでしょう。
映画化しても小説を勝りはしないだろうと力説する妻だけど、まぁでもきっと、映画化したら見るんだろうなぁ。我が家での不思議な出来事の一つだから。
そんな余談の紹介でした。
本作は、桜の花が舞い散るこの季節におすすめの一冊。
我が家ではちょっと違う楽しみ方をしたけれど、たまにはこうしたセンチメンタルな話も悪くないね。
(ちなみに、この手の話で現実的な考察をするのは楽しむお作法を外れるので、あまり深堀りしないほうが良いのかもね。)
ぼくは明日、昨日のきみとデートする (宝島社文庫)
著・七月隆文
本作は、京都の美大に通う男 南山高寿と美容専門学校へ通う女、福寿愛美のお話だ。
タイトルを見るだけで、ある程度どういった内容かは推測がつくし、筋としては大方予想通りだ。
しかし、それでも読み終わったあとには、小説の余韻に包まれていた。
読みはじめのうちは、自らが思い描いてる物語との整合性を確かめながら、「なるほど想像通りだ」なんて思いながら読みすすめていた。
「これは伏線だな」「後からこれにどんな意味を持たせるのだろう」「もしかしたらああいう設定かな」という風に、まるで答え合わと着地点の微調整をするかのような、斜に構えた読み方をしていた。
だから、途中までは、「これはタイトルミスだろー。キャッチーだけどその分ネタバレ感溢れる、諸刃の刃だなー」とか思ってたんですよ。そう、途中までは。
中盤以降、いつの間にかそんな邪推メガネを外して引き込まれている自分がいた。
もうね、分かってるんだけどね、分かってるんだけどやっぱそうなっちゃうんですよね...
なんというか、最後まで読み通すことで、物語はその構造をあらわにし、この本を一つの「作品」に仕立てあげる、実に鮮やかなものだった。
冒頭のセリフがあるように、二人はまるでメビウスの輪を描くように歩み、すれ違い、お互いの事を確かめ合う。
その輪の交差点が物語の中盤であり、読者が引き込まれるポイントであり、著者の巧みな技なのだ。
そう、切ないまでに、すれ違いはとまらない。
連続するすれ違い、でもすれ違わない二人の軌跡が、たしかに一つの輪になっていることを知ったときに、この物語は完成する。
ちなみに、この本に関する余談があって。
実はこの話、この本が最初ではないのだ。僕はこの話を知っていたのだ。
何故か。
去年妻から全く同じ設定の話を聞かされていたから。
この本の初版は2014年8月で、僕は同じような時期にこの話の骨子を彼女から聞かされていた。
アイディアと妄想力に富み感受性の高すぎる彼女は、そのアイディアを語りストーリーを語るにつれて、大粒の涙を流しては目の前にいる僕を途方に暮れさせた。
「おいまじか。感受性が高すぎて自分の考えたストーリーを頭のなかで展開して完結させて号泣してるぞ...」
これは一発芸か何かかと戸惑ったあの日。
もちろん、この小説の存在なんて当時知る由もない。
そして時は流れ、先日本屋で見つけた際はそんなことは忘れており、タイトルに惹かれて偶然にもそれを手にした僕。
あの時の話が今ここに、全く知らない作家の小説としてこの手にある衝撃。
当人にこれ読むかと聞けば、こう返ってくる。
「いやもうそれ知ってるから。原案は私だから。印税入ってくるかな?」
ですよね、失礼しました。印税は入ってこないですけどね。
いやぁ、世の中不思議なことはあるものですね。
ちなみに、この話はきっと映画化するんでしょう。
映画化しても小説を勝りはしないだろうと力説する妻だけど、まぁでもきっと、映画化したら見るんだろうなぁ。我が家での不思議な出来事の一つだから。
そんな余談の紹介でした。
本作は、桜の花が舞い散るこの季節におすすめの一冊。
我が家ではちょっと違う楽しみ方をしたけれど、たまにはこうしたセンチメンタルな話も悪くないね。
(ちなみに、この手の話で現実的な考察をするのは楽しむお作法を外れるので、あまり深堀りしないほうが良いのかもね。)
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