"近くに引き寄せ、恐怖を振り払い、打ち倒す"
監督:ポール・ハギンス
イラク戦争から帰還した息子からの連絡がない。
父親のもとにあった軍からの連絡は息子の行方は不明という内容。
退役軍人のカンか、不審に思った父親であるトミー・リー・ジョーンズは息子を探しに軍の基地へ赴く。
そこで知る現実は、到底受け入れがたいものだった...。
今更観たの!?とか言わないで。
本作はプレイボーイ誌の記事が発端らしい。
本筋詳細はネタバレなので伏せておくことにしても、観客に問いかけてくるのはポール・ハギンスらしいやり方だ。(とか言いながら、次に書くけどポールの作品を観たのは本作が2作目であり全く語れる立場じゃございません。)
戦争は異常だ。日常を追いやり日常的なものを蹂躙し尊厳を奪い去る。
特需だ世界平和だと言う影に隠されるのは、現場で命をかけた兵士の苦しみだ。
本作は戦地から帰還した兵士たちと、その父親の視点から語られるアメリカの姿である。
いかに異常なことが戦地で起こっているのか。
つまり、一瞬一瞬の選択が生命と如何に密接に繋がっているか、そこに起こる倫理観との相反性や、心理的回避といった行動の妥当性について、観客に難しい問を投げかけてくる。
それが、退役軍人である父親の心理的葛藤を描きつつも、一児の母親であるシャーリーズ・セロンの正しい行いへの情熱が物語を進行させる。
戦争は人を狂わせる。
イラク戦争がISILという鬼子を生んだように、憎しみからは新たな憎しみしか生まれない。
言葉で言うのは簡単だ。かといってノーガードで世界は平和になるかと言ったら、そうならないのが人の世だ。
現に、日米安保条約という核の傘で日本は守られている。
だから混沌とする世界情勢を受けて、将来に向けて安倍政権は集団自衛権の行使を容認化するし、いわゆる普通の国へと舵を切っている。
それは時代の潮流かもしれない。だって、世界はちっとも平和になりゃしない。
ISILをはじめとしたイスラム過激派は最悪だし、クリミア半島の一件は武力を以って起こっているし(それが政治的妥当な可能性があったとしても)、イスラエル・パレスチナの宗教戦争は終わらないし、イラクは核開発を諦めたわけじゃないし、北朝鮮は武力開発を続けているし、何より中国は虎視眈々と軍事力の拡大を狙っている。
しかし、いざ必要な時が迫られたときに、駆り出されるのは自衛隊であり、その先にあるのは徴収制なんじゃないかと思う。
自然災害の度に、自衛隊という存在の必要性というか存在の大きさを思い知らされる。
そうしたことと同じように、有事の際は自衛隊が駆り出される。
しかし知っての通り、日本は超高齢化社会を今後迎えるのだ。
国が国の形を保つために、軍事を優先するのか経済を優先させるのか、それは時の政権によるのだろう。
しかし、以下のリンクにあるように、充足率を維持するために定員数が減少するという防衛省のお役所仕事が見て取れる。
そうした程度に自衛官の人数は減少しているのだし、集団的自衛権の件で応募も減少していると聞く。
自衛官数の不足は必然なのだ。
低い充足率に合せるように定員を減らすも現員も減ってしまう“いたちごっこ”
2014年3月31日時点における自衛官の充足率
本作がPTSDの発端による事件の発露を見せるように、日本の自衛官が戦地に赴いたときの自殺や事件も推して知るべし、だろう。
赤旗新聞ではあるものの、以下の様な記事もあり、通常のそれよりも何倍に起こるのだ。
これは非戦闘地域だとされつつも、現場は戦闘地域の感覚だったもので、政治的に戦闘地域と言われればもうそれは前線になる = 精神的負荷はより大きいものだ。
自衛官の負荷はますます高まり、自衛官不足は深刻になるのかもしれない。
赤旗 - アフガン・イラク戦争 派兵自衛官 自殺40人
つまり何が言いたいのかというと、僕は決して共産主義者じゃないということだ。
あ、違った。
そうではなく、アメリカ追従の道は、いつか来た道であるように、僕らがかかえる大いなる不安なのだということだ。
自然災害時に救助活動にあたる自衛官の方々が抱える精神的負担もさることながら、戦地に赴いた際の、人が人でなくなるような光景には、僕の中で想像に想像を重ねても、フィクションにしかすぎずそこにリアルはない。
リアルを感じるときこそ、日本に差し迫った危機があるときなのだろうし、そう思えるくらいに僕は平和の中で生活している。
しかしそれでも、日米安保条約は今の日本には必要なのだと僕は思う。
日本独自の路線を邁進するほどに日本の政治はきっと熟してもいなければリーダーシップもない。市民の側だって、政治に関しては無関心だとか放任主義だと言われて久しい。(僕も含めて)
そう思うくらいに僕は口だけのペシミズムなのかもしれないね。
あー良くない良くない。
アルコールが入ると蛇足が長くなるのがいけないね。。とにかく、話を元に戻そう。
本作はトミー・リー・ジョーンズがはまり役であり、悲しみを背負いつつも真実を明らかにしようとする進行は、彼の皺の数だけ緊迫感に満ちている。
息子の現実を目にしたスーザン・サランドンが軍警察に反発するシーンや、その廊下でトミー・リー・ジョーンズが悲しみに寄り添うシーンは、思わず涙腺を緩める。
何が正義かなんて途中からよくわからなくなる。
異常な現実から帰還した人間は、その異常性をどこかで引きずっているのかもしれないし、その原因は何より国が叫んだ正義のためだったじゃないか。
ポール・ハギンスは、その正義は本当に真理であったのか、それが絶対であったのかという疑問を、帰還兵とその家族に起こった一事件を切り口に、世論に問いかけたんだろう。
もしかしたら、彼自身、自分をダビデに模したのかもしれないね。
ラストシーンがそれをよく物語っていたように思う。
監督:ポール・ハギンス
イラク戦争から帰還した息子からの連絡がない。
父親のもとにあった軍からの連絡は息子の行方は不明という内容。
退役軍人のカンか、不審に思った父親であるトミー・リー・ジョーンズは息子を探しに軍の基地へ赴く。
そこで知る現実は、到底受け入れがたいものだった...。
今更観たの!?とか言わないで。
本作はプレイボーイ誌の記事が発端らしい。
本筋詳細はネタバレなので伏せておくことにしても、観客に問いかけてくるのはポール・ハギンスらしいやり方だ。(とか言いながら、次に書くけどポールの作品を観たのは本作が2作目であり全く語れる立場じゃございません。)
戦争は異常だ。日常を追いやり日常的なものを蹂躙し尊厳を奪い去る。
特需だ世界平和だと言う影に隠されるのは、現場で命をかけた兵士の苦しみだ。
本作は戦地から帰還した兵士たちと、その父親の視点から語られるアメリカの姿である。
いかに異常なことが戦地で起こっているのか。
つまり、一瞬一瞬の選択が生命と如何に密接に繋がっているか、そこに起こる倫理観との相反性や、心理的回避といった行動の妥当性について、観客に難しい問を投げかけてくる。
それが、退役軍人である父親の心理的葛藤を描きつつも、一児の母親であるシャーリーズ・セロンの正しい行いへの情熱が物語を進行させる。
戦争は人を狂わせる。
イラク戦争がISILという鬼子を生んだように、憎しみからは新たな憎しみしか生まれない。
言葉で言うのは簡単だ。かといってノーガードで世界は平和になるかと言ったら、そうならないのが人の世だ。
現に、日米安保条約という核の傘で日本は守られている。
だから混沌とする世界情勢を受けて、将来に向けて安倍政権は集団自衛権の行使を容認化するし、いわゆる普通の国へと舵を切っている。
それは時代の潮流かもしれない。だって、世界はちっとも平和になりゃしない。
ISILをはじめとしたイスラム過激派は最悪だし、クリミア半島の一件は武力を以って起こっているし(それが政治的妥当な可能性があったとしても)、イスラエル・パレスチナの宗教戦争は終わらないし、イラクは核開発を諦めたわけじゃないし、北朝鮮は武力開発を続けているし、何より中国は虎視眈々と軍事力の拡大を狙っている。
しかし、いざ必要な時が迫られたときに、駆り出されるのは自衛隊であり、その先にあるのは徴収制なんじゃないかと思う。
自然災害の度に、自衛隊という存在の必要性というか存在の大きさを思い知らされる。
そうしたことと同じように、有事の際は自衛隊が駆り出される。
しかし知っての通り、日本は超高齢化社会を今後迎えるのだ。
国が国の形を保つために、軍事を優先するのか経済を優先させるのか、それは時の政権によるのだろう。
しかし、以下のリンクにあるように、充足率を維持するために定員数が減少するという防衛省のお役所仕事が見て取れる。
そうした程度に自衛官の人数は減少しているのだし、集団的自衛権の件で応募も減少していると聞く。
自衛官数の不足は必然なのだ。
低い充足率に合せるように定員を減らすも現員も減ってしまう“いたちごっこ”
2014年3月31日時点における自衛官の充足率
本作がPTSDの発端による事件の発露を見せるように、日本の自衛官が戦地に赴いたときの自殺や事件も推して知るべし、だろう。
赤旗新聞ではあるものの、以下の様な記事もあり、通常のそれよりも何倍に起こるのだ。
これは非戦闘地域だとされつつも、現場は戦闘地域の感覚だったもので、政治的に戦闘地域と言われればもうそれは前線になる = 精神的負荷はより大きいものだ。
自衛官の負荷はますます高まり、自衛官不足は深刻になるのかもしれない。
赤旗 - アフガン・イラク戦争 派兵自衛官 自殺40人
つまり何が言いたいのかというと、僕は決して共産主義者じゃないということだ。
あ、違った。
そうではなく、アメリカ追従の道は、いつか来た道であるように、僕らがかかえる大いなる不安なのだということだ。
自然災害時に救助活動にあたる自衛官の方々が抱える精神的負担もさることながら、戦地に赴いた際の、人が人でなくなるような光景には、僕の中で想像に想像を重ねても、フィクションにしかすぎずそこにリアルはない。
リアルを感じるときこそ、日本に差し迫った危機があるときなのだろうし、そう思えるくらいに僕は平和の中で生活している。
しかしそれでも、日米安保条約は今の日本には必要なのだと僕は思う。
日本独自の路線を邁進するほどに日本の政治はきっと熟してもいなければリーダーシップもない。市民の側だって、政治に関しては無関心だとか放任主義だと言われて久しい。(僕も含めて)
そう思うくらいに僕は口だけのペシミズムなのかもしれないね。
あー良くない良くない。
アルコールが入ると蛇足が長くなるのがいけないね。。とにかく、話を元に戻そう。
本作はトミー・リー・ジョーンズがはまり役であり、悲しみを背負いつつも真実を明らかにしようとする進行は、彼の皺の数だけ緊迫感に満ちている。
息子の現実を目にしたスーザン・サランドンが軍警察に反発するシーンや、その廊下でトミー・リー・ジョーンズが悲しみに寄り添うシーンは、思わず涙腺を緩める。
何が正義かなんて途中からよくわからなくなる。
異常な現実から帰還した人間は、その異常性をどこかで引きずっているのかもしれないし、その原因は何より国が叫んだ正義のためだったじゃないか。
ポール・ハギンスは、その正義は本当に真理であったのか、それが絶対であったのかという疑問を、帰還兵とその家族に起こった一事件を切り口に、世論に問いかけたんだろう。
もしかしたら、彼自身、自分をダビデに模したのかもしれないね。
ラストシーンがそれをよく物語っていたように思う。
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