あるキング

"フェアはファウル、ファウルはフェア"


三人の魔女からお告げをうけたマクベスは王を殺害して自らが王になる。夫と自らの欲望のため、尻を叩いて計画を実行させた彼の妻と共に、罪の意識と不安に縛られては、自らを消耗していく。
不安定な彼らは正しい政治を行うこともできず、残虐で暴力的な行為によって、周りの敵が増えていく。
そうして、逃げていた王の息子がマクベスを打つべく国へ戻り、マクベスの心の拠り所であった三人の魔女から聞き出した予言も、遂には打ち破られ、正統後継者である新しい王が誕生する。

シェイクスピアのマクベスは読んだことないけども、あらすじはだいたいこんなところで合っているだろうか。

なぜシェイクスピアなのかというと、この小説の物語はマクベスの話が染み込んだ話だからだ。

主人公は王になるお方。
その父親と母親はある犯罪を犯す。
そのことで、王になる主人公は他社からの妬みや憎悪を背負うことになる。
すべての因果が収束していく一点で、王の剣はありとあらゆる闇を吹き飛ばし、新たな王の誕生を祝うのだ。

これは伊坂さんがマクベスのテーマを使って再構築した作品なのだろう。きっと。多分。おそらくは。
だってマクベス読んでないのだもの。じゃあ書くなとか言わないで。

世の中に隅々に入り込む不安が人の闇を掻き立てては恐ろしいものへと変貌していく様を描く一方で、そうした闇を打ち消す希望の一筋を本書は見せている。

この作品は、ある意味伊坂幸太郎自身へのメッセージなのかもしれない。
今までの作品とは違うものを作っていく道のりでの、自分へのメッセージ。

例えば、作中にこんな台詞がある。

"頑張れというのはさ。もともと、我を張れ、ってところから来ているんだ。我を張り通す。「我を張れ」が変化して、「がんばれ」だ。自分の考えを押し通せ!ってことかもな"

不安に負けず、我を張れ!ってメッセージだ。


例えば、冒頭に書いた、"フェアはファウル、ファウルはフェア"

趣向を変えれば、「面白いは面白くない、面白くないは面白い」
こう書いてみると、作者側と読者側の感想が揺れる関係性を表しているようにも読める。

この話を書いていたとき、伊坂さんは深い闇の中を歩いていたのかもしれない。
内に抱える不安や嫉妬や焦りといった闇を球に見立てれば、その球をいろんなスイングで目一杯打ち返していた時なのかも知れない。
そしていつか、芯に当たった球は心地よく空に伸びてフェンスを超えて行くんだろう。
そうした希望に向けての内容なのだ。
主人公が放ったホームランと、次の命の誕生のように。

なるほど。そうすると、こう言えばいいんだな。

"フェアだ!走れ!"


PKから再び読み始めた伊坂作品は、これで一旦球切れ。

ところで全然関係ないのだけど、オーデュボンの祈りの単行本が絶版理由でだいぶおかしな金額で売られてるのね。




それに比べて森見氏を見よ。
絶版ではないものの単行本が\1 という潔さである。
惜しみない涙と拍手を送らずにはいられない。これぞ森見氏なのだ。


一緒に過去記事を添付しようとしたらこのお話は残念ながら未読だった。
評判はイマイチ宜しくないようだ。エッセー風だということなので、保留にしておこう。

この流れで何故か登場してしまうのも、たまたま偶然にも目に入っただけであって、それも森見氏のしからしむるところなんだろう。

というところで謎の結びにしておきます。

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