ゴールデンスランバー

"きっと、ばらばらだったみんなを、もう一度繋ぎあわせたかったんだ"

ゴールデンスランバー (新潮文庫)


著・伊坂幸太郎

職人技とSっぷりとを発揮させる本作。
当時は早く文庫本が出ないかなぁと待ち望んでいた一冊だったが、なかなか文庫本化されなかったのを記憶している。話題の本でもあったから、余計に文庫本化が遅れていた。
ようやく出た頃には読みたい気持ちが薄まっており、最近になって手にとった。

最初のほうは当事者が誰か分からず、顛末が先行して出てくるので読んでいて退屈だった。
それが一転、時間を巻き戻して、よーいドンで始まる物語。一気に先が気になる展開が始まるのだから、不思議だ。魔術師だ。

話の構成が秀逸。
事の顛末を先に出して、時間を巻き戻してから、順番に回想する。そうして、示した顛末の先まで進める。
伊坂さんが行う、話の展開の再構築にはいつも楽しませてもらえるが、今回のようなサスペンス要素があるものは、宮部みゆきの火車もそうだったように、トレースしていくやり方が面白みを増加させてくれる。

物語は仙台で起きる。首相が仙台でラジコンヘリの爆発テロの標的となり、大事件となるのだがら、その犯人が主人公である青柳雅春と断定され、逃走劇が始まるのだ。

PKを見た後だからか、伊坂作品のテーマが徐々に傾倒しているのかなぁと思わずにはいられない。モダンタイムズや魔王もそうしたテイストだったよなぁ。
つまり、国家とか権力とか、そうした目に見えない大きな何かによる、力や支配がテーマに据えられている。
この作品も、ケネディー暗殺事件における大きな力とオズワルドが、物語に重ねられているし。

登場人物も物語の渦に大いに翻弄されている。
Sっぷりを発揮し、しっかりと犠牲者を出す。
理不尽な脅威と理不尽な暴力によって、大事な人物が弄ばれる様は、物語内の大きな力に隠れ、結局のところ一番の力を行使している作者のSっぷりを感じずにはいられない。
いや、今までの伊坂作品の持つ日常性から逸脱した攻めのギャップに、S的なものを感じるのだろうか。

そういえば、伊坂作品に登場する女性陣は、だいたいおしゃれだ。
おしゃれというのは、服装がではなくて、言葉の返しがおしゃれなのだ。
切迫した状況であっても、いつもユーモアを放つ余裕を忘れない。
そうした芯のある女性像が、伊坂作品に共通する要素の一つだろう。

この物語の最後も、そうしたおしゃれで幕を閉じている。
監視があるから、という理由で納得はできるものの、あまりにおしゃれすぎてビックリする。

こんなおしゃれにあっさり幕を閉じるだなんて、やはり伊坂幸太郎はSなのだ。

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