マアジナル
アルカナシカ 人はなぜ見えないものを見るのか
著者:田口ランディ
サンカーラを読み興味が湧いて、マアジナル、アルカナシカ、を読む。
仮にマアジナルが虚像であるなら、アルカナシカは実像。
前者はあるテーマを持ったフィクションで、後者はそれに至るまでの取材や背景が書かれたノンフィクションなのだ。
マアジナルの舞台になるのは能登半島。
ひょんなことからオカルト雑誌の編集者になった高木は、初仕事で故郷である能登に、取材にいくことに。
それはとある精神科医からのメールで、奇妙な相談があったことから始まる。
UFOを見たという患者がいる。それも1人ではない。
オカルトには否定的な高木は、しぶしぶと初仕事としてこの精神科医へ取材にいくのだ。
それをきっかけとして、物語りは幕を開ける。
昔、ある事件を体験した少年少女が、その後数奇な運命を辿る。
そんな不思議と遭遇しながら。。
あらすじはそんなところ。さてここで。
エルヴィン・シュレーディンガー
イマヌエル・カント
パーシヴァル・ローエル
この歴史上の偉人達を結ぶ問いはなんでしょう。
それは、
「UFOは存在するか?」
何を言っているのだ。
そんな声が聞こえてきそうだけど、確かにこの問いのもつ本質において、先ほど挙げた人物達はこの本の中で、いや、氏の中で繋がりを持っている。
(しかしシュレーディンガーやらカントやら、まさか本を読み進めていくまでそんな内容が出て来るとは思いもしなかった。)
どのように繋がっているのか。
その紹介は本の内容に譲るとして、マアジナルの帰結を見ると、サンカーラでも覗かせている氏の方向性が読み取れる。
しかし、内容に触れないと何をいっているか分からんねー。
一つ言えるのは、本に登場する超現象は、"そういうことがあるのかもしれないけど俺は経験した事無い"という立ち位置で眺めているいうこと。
UFOに遭遇したこと無いしスプーンだって曲げられないしネッシーだって見た事無い。
氏が超現象の体験した事を綴っているけど、体験した事が無いから想像に終わるだけだ。
"そういうこともあるんだろうなぁ"という可能性を想像することと、"本当にそうだった"という自らの実感の間には隔たりがある。
その実感が何であるか、どのようにして得られたかは、時に他者から見ると疑問の余地が残る。
しかし本人にとってはその実感が確固たるものであれば真実なのだ。
そうした意味で、氏にとっては真実であり、俺にとっては"ははぁ、なるほどー"という感触に留まるだけなのだ。
そうした、マージナルな境に立って、抽象的なテーマを見事、量子力学や哲学、天文学(?)を引き込んで論理的な構築に見せるのは、さすが作家さんなのだなぁと思ったり。
田口ランディという人は、そうした実感を積み重ねて、サンカーラの、さらにその先に進んでいく最中なんだと思うのでした。
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