9/14
5:00
起床。なぜか5時に起きる習慣になっている。何故だ。
朝はアニメの時間なのか、テレビではアニメ番組が多い。
他にも、フランスの番組が流れたりしているが、やはり何言ってるか分からない。
7:00
朝食。
ホテルから見える外の風景。みんなバスで仕事場へ向っているのかな。
8:00
モハメッド、ゾハイアと合流して、ケロアン観光開始。
ここケロアンも、世界遺産に登録されている。
アラブ朝の貯水池。いまもケロアン市民の水源になっているようだ。
ケロアン名物菓子の、マクロウドなるもの。あんドーナツみたいな甘い味。
シディサハブ霊廟。色鮮やかな内装。モスクや神学校など、複合施設となっている。
各色にはそれぞれ意味があるのだが、メモに使った本をあげてしまったので、失念してしまった、、
おじじ。ちょっと怒ってる?と思いながら話しかけてみると、とってもフレンドリー。
出口付近で地図を売っている人。
地球の歩き方についている地図を見せて、やんわり断る。ごめんよ。
外に出ると、モハメッドが撮って撮ってと言ってくる。写りたがりだったか。
次にカーペット工房へ案内される。
ここケロアンはカーペットの名産地のようで、世界各地から注文を受けるほどだそうだ。
カーペットを織るおばちゃん。
日本人の注文した品もあった。それをもつこの人が渋いっ。ちょい悪おやじ。
カーペットは数ヶ月から1年前後かけて作られる品で、大小模様も様々。
出来上がった品は検査にかけられ、優良品は、その証である石(右下)のようなものを目印に付けられるようだ。
ちなみにこれは製作期間4ヶ月、980Dで、およそ7万円! 高価な品だ。(これは大きなカーペットだからだけど)
交渉に交渉を重ね、モハメッドの支援ももらい、ちっこいカーペットを記念に安めで購入。
出る際に、昨日ランチで見かけた日本人?カップルとすれ違う。ルートが一緒だな。
カーペット工房を出たところで、何やらゾハイアが車と格闘している。
どうやらバッテリーが上がってしまったらしい。
この先長いのに大丈夫か?とちょっと不安にもなったけど、無事復旧。
次にグランドモスクを見学。ここはアフリカ最古のグランドモスクだそうだ。
礼拝堂の中には異教徒は入れない。中でうちわのようなものをパタパタとやっているおじさま。
周囲には観光客向けの土産屋が立ち並ぶ。
次にケロアンのメディナ。チュニスより活気はないが、色んな店が並んでいる。
ふらふら歩いていると、日本語で話しかけられる。
むむむと振り返ると、そこに立っているのは日本人ではなくチュニジア人。
招かれる様に彼の店に行き、そこでいろいろ日本での写真を見せられた。
なんでも、過去に日本で仕事をして生活をしていたらしく、日本人女性と結婚していたようだ。
子供も二人いるのだが、日本の生活に馴染めなかったようで、子供二人とチュニジアに戻ってきたとのこと。(きっと離婚したのだろう、、)
突然日本語が通用すると、言葉の切り替えにちょっと戸惑うが、新鮮だ。
チュニスには行ったか?あそこは色んな人がいて危険だから気をつけろと、と言ってくる。
そうなのか。ますますあの出会いは良かったのだなと噛みしめる。
右がその人。左は一緒に店で働いている人。
しかしここでも、左の人に日本の土産をくれと言われる。
しょうがないので、またもやボールペンをあげた。複数本持って来たボールペンが、こんな形で役に立つとは、、
ボールペンでも十分喜んでくれるので、チュニジアへ行くひとは、ボールペンをエスケーブゴートとして数本持って行く事をお勧めします!
帰ろうとすると、サハラ砂漠のバラ、なるものをくれた。砂漠の結晶のようだ。
さらに、良い写真の撮影場所があるんだ、連れてってやるよ、と言ってくれるのだが、もうモハメッド達と会う時間だ。
礼を言って別れる。珍しい出会いだったな。
メディナ出口でキティちゃんを発見。パシャリ。
待ち合わせのカフェに着くと、モハメッドがサンドイッチを奢ってくれた。
モハメッド一押しのサンドイッチのようで、ポテトや卵、唐辛子などのスパイスが効いていてうまし。
10:30
スベイトラへ向けて出発。
景色がどんどん厳しい荒野へと変わって行く。
12:00
スベイトラ遺跡を見学。
美しい神殿。左から、ミネルバ、ジュピター、ジュノーをそれぞれ祀った神殿だそうだ。
劇場。円形のものは闘技場として、半円形は劇場として利用されたそうだ。
演劇や演奏などを楽しむ場所が、この劇場。川が後ろに流れていて、音を吸収する仕組みになっており、居住地への配慮がすでに当時から考案されている。
他にもオリーブ圧搾台や居住区、浴場等々が遺跡として周辺に残っている。
近くのレストランでランチ。この旅初の、一人じゃないランチ笑
周りを見ると、日本人女性2人のグループが、2組別々にランチしていた。
さきほど遺跡でちらっと見かけたグループが、"来たよ"と言っているの聞こえた。
なんだよ、来ちゃ悪いかよ!一人じゃ悪いかよ!とか気になる小心者の俺。
チラチラと見てくる彼女達。む、まさかこれは旅先での出会い!?
途端にソワソワしだす俺なのだが、いまはモハメッド、ゾハイアとランチ中。ううむ。
タイミングを見計らってーとか思っていると、既にランチを終えていた彼女達は出て行ってしまった。あふ。
ランチはというと、羊の肉だと思われる物に、デミグラスソースの様なものをかけたもの。
モハメッドは腹がすいていないのかサラダを残して離席する。
ゾハイアは新聞のサッカー欄のスコアを入念にチェックしている。
聞けば、チュニジアのサッカークラブに所属していたようで(これもサッカークラブをメモった本をあげてしまい(ry )、クラブを辞めてから職を探し、今のドライバー業を9年ほどやっているようだ。
ドライバーどれぐらいやってるの?という質問からそこへ辿ったのだが、なぜそんなことを聞くんだ、と言い返される。
うーん、まだ認められていないのだろうか。
もしくは、サッカーを辞めてドライバーへ転身した"節目の部分"が喋りたくないのかなぁ。
とにかくその話はやめて(というか拙い英語ではこれ以上は変な誤解を生みそうなので)、これからのプランについて会話した。
これからはロングロングドライブのようだ。地図で確認すると、次の目的地トズールまで200kmほどありそうだ。
既に朝から100km以上は走ってるので、これはタフなドライブだ。。
14:00
トズールへ向けて出発。頑張れゾハイア。
既に周辺にはオリーブの木もなく、ただただ荒野が広がる景色。
昨日まで地中海近くで海が綺麗だったのに、この変わり様に驚く。
遠くに見える山脈が美しい。
17:30
トズールのホテルへ到着。リッチだ。
ライトが自動点灯することに感動する。
望むなら、伝統舞踊などを見ながらディナーを楽しめる場所があるとモハメッドが言う。なにそれ、行く行く。
歩いていけるような距離ではないようなので、後で合流して行く事に。
集合時間まで、外を散策。
歩いていると、観光用の馬車、カレーシュを見かける。
通り過ぎるカレーシュ乗りに挨拶したら、横につけてきた。ああ、そうだよね、乗るのかと勘違いするよな、、
全然乗る気はなくて、金持っていない事をアピールする。
相場は12-10D程度のようなので、5Dしか無いんだよねー、と言ってたら、それでOKになってしまった。ありゃ。
この人、オハヨウゴザイマス、コンニチワ、アリガトウゴザイマスと、日本語を知っている。
口癖は、ヤバイネ。ヤバイネを連呼してくる。出川、、とは違うか。誰が教えたんだ。
他にも英語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語なども知ってるというのだから、南部に来てもやはり同じ様にみんな多言語を扱う事が分かる。チュニジア人はほんと柔軟だ。
助手席に乗せてもらい、カレーシュに乗りながら街を見学。
南部までくると、チュニスとは違って、服装がぐっと保守的になる。
女性の肌の露出は随分少ない。
周辺には結構ホテルが建っており、日本人のよく利用するホテルだといって、ヤバイネホテルだと言ってくる。面白いな。
なんでも13ほどのホテルがあったが、いまは3つcloseされてしまったんだとか。
家族の話をすると、妻は5人いると言う!おお、さすがイスラム圏、一夫多妻制かぁ。
しかしこれは後にジョークだと知ることに。
カレーシュに乗りながら見える夕焼け。
19:30
カレーシュ乗りと別れ、モハメッド達と合流してレストランへ。
レストラン、といっても広く雰囲気ある作りになっていて、3つのセクションに分かれていた。
食事をするレストランスペースと、伝統工芸(?)をする女性達を見るスペースと、ショーをするための闘技場の様なスペース。
ナンのようなものを焼いているおばあちゃん。出来た物をくれて、それがもちもちしていてうまかった。
闘技場のようなとこ。黒衣装の男達が馬にのって剣舞を披露する。他にも火を吹くショーなど、半分サーカスみたい。
無論、この旅はいたるところで観光客は欧米人ばかり。日本人の俺は寂しい限り。
中庭に移動して、ヘビやサソリのショーもある。
ディナーを食しながら、伝統民謡やベリーダンスなどの伝統舞踊を鑑賞。
ディナー用の服装になったゾハイア。
チュニスで飲んだ時もそうだが、カレーシュに乗ってまわったことを話すと、モハメッドに注意されてしまった。
一人だということにもっと注意してくれと。サハラ周辺は貧しい人が多いから、危険があることを覚えておいてくれと釘をさされた。
そしてこの指摘は後日、少しだけ当たることになる。
その後なぜかカレーシュのガイドぶりはどうだったか聞かれ、俺が明日もっとラブリーな時間を過ごさせてやる、と言う。ゴクリ。
ちなみに、カレーシュ乗りが5人妻がいると言っていたと話すと、それは無いと言われた。
なぜなら、チュニジアはイスラム圏ではあるものの、一夫一妻なのだそうだ。
(後で調べたところ、個人身分法により重婚を禁止、アラブ・イスラム諸国では初めて一夫多妻廃止をした国のようだ。)
一杯食わされた!
22:00
ショーは色々楽しめたけど、途中で飽きてしまった。あはは。
翌日は朝日鑑賞があるというので早起きだし、途中退出でホテルへ戻る。
夜道は結構危険そうだ。歩いてこなくて良かった。
24:00
就寝。
他にも土産屋での格闘やゾハイアの恋愛論などいろいろあったが、チュニジア滞在3日目はこんな感じだ。
次はチュニジア滞在4日目へ。
5:00
起床。なぜか5時に起きる習慣になっている。何故だ。
朝はアニメの時間なのか、テレビではアニメ番組が多い。
他にも、フランスの番組が流れたりしているが、やはり何言ってるか分からない。
7:00
朝食。
ホテルから見える外の風景。みんなバスで仕事場へ向っているのかな。
8:00
モハメッド、ゾハイアと合流して、ケロアン観光開始。
ここケロアンも、世界遺産に登録されている。
アラブ朝の貯水池。いまもケロアン市民の水源になっているようだ。
ケロアン名物菓子の、マクロウドなるもの。あんドーナツみたいな甘い味。
シディサハブ霊廟。色鮮やかな内装。モスクや神学校など、複合施設となっている。
各色にはそれぞれ意味があるのだが、メモに使った本をあげてしまったので、失念してしまった、、
おじじ。ちょっと怒ってる?と思いながら話しかけてみると、とってもフレンドリー。
出口付近で地図を売っている人。
地球の歩き方についている地図を見せて、やんわり断る。ごめんよ。
外に出ると、モハメッドが撮って撮ってと言ってくる。写りたがりだったか。
次にカーペット工房へ案内される。
ここケロアンはカーペットの名産地のようで、世界各地から注文を受けるほどだそうだ。
カーペットを織るおばちゃん。
日本人の注文した品もあった。それをもつこの人が渋いっ。ちょい悪おやじ。
カーペットは数ヶ月から1年前後かけて作られる品で、大小模様も様々。
出来上がった品は検査にかけられ、優良品は、その証である石(右下)のようなものを目印に付けられるようだ。
ちなみにこれは製作期間4ヶ月、980Dで、およそ7万円! 高価な品だ。(これは大きなカーペットだからだけど)
交渉に交渉を重ね、モハメッドの支援ももらい、ちっこいカーペットを記念に安めで購入。
出る際に、昨日ランチで見かけた日本人?カップルとすれ違う。ルートが一緒だな。
カーペット工房を出たところで、何やらゾハイアが車と格闘している。
どうやらバッテリーが上がってしまったらしい。
この先長いのに大丈夫か?とちょっと不安にもなったけど、無事復旧。
次にグランドモスクを見学。ここはアフリカ最古のグランドモスクだそうだ。
礼拝堂の中には異教徒は入れない。中でうちわのようなものをパタパタとやっているおじさま。
周囲には観光客向けの土産屋が立ち並ぶ。
次にケロアンのメディナ。チュニスより活気はないが、色んな店が並んでいる。
ふらふら歩いていると、日本語で話しかけられる。
むむむと振り返ると、そこに立っているのは日本人ではなくチュニジア人。
招かれる様に彼の店に行き、そこでいろいろ日本での写真を見せられた。
なんでも、過去に日本で仕事をして生活をしていたらしく、日本人女性と結婚していたようだ。
子供も二人いるのだが、日本の生活に馴染めなかったようで、子供二人とチュニジアに戻ってきたとのこと。(きっと離婚したのだろう、、)
突然日本語が通用すると、言葉の切り替えにちょっと戸惑うが、新鮮だ。
チュニスには行ったか?あそこは色んな人がいて危険だから気をつけろと、と言ってくる。
そうなのか。ますますあの出会いは良かったのだなと噛みしめる。
右がその人。左は一緒に店で働いている人。
しかしここでも、左の人に日本の土産をくれと言われる。
しょうがないので、またもやボールペンをあげた。複数本持って来たボールペンが、こんな形で役に立つとは、、
ボールペンでも十分喜んでくれるので、チュニジアへ行くひとは、ボールペンをエスケーブゴートとして数本持って行く事をお勧めします!
帰ろうとすると、サハラ砂漠のバラ、なるものをくれた。砂漠の結晶のようだ。
さらに、良い写真の撮影場所があるんだ、連れてってやるよ、と言ってくれるのだが、もうモハメッド達と会う時間だ。
礼を言って別れる。珍しい出会いだったな。
メディナ出口でキティちゃんを発見。パシャリ。
待ち合わせのカフェに着くと、モハメッドがサンドイッチを奢ってくれた。
モハメッド一押しのサンドイッチのようで、ポテトや卵、唐辛子などのスパイスが効いていてうまし。
10:30
スベイトラへ向けて出発。
景色がどんどん厳しい荒野へと変わって行く。
12:00
スベイトラ遺跡を見学。
美しい神殿。左から、ミネルバ、ジュピター、ジュノーをそれぞれ祀った神殿だそうだ。
劇場。円形のものは闘技場として、半円形は劇場として利用されたそうだ。
演劇や演奏などを楽しむ場所が、この劇場。川が後ろに流れていて、音を吸収する仕組みになっており、居住地への配慮がすでに当時から考案されている。
他にもオリーブ圧搾台や居住区、浴場等々が遺跡として周辺に残っている。
近くのレストランでランチ。この旅初の、一人じゃないランチ笑
周りを見ると、日本人女性2人のグループが、2組別々にランチしていた。
さきほど遺跡でちらっと見かけたグループが、"来たよ"と言っているの聞こえた。
なんだよ、来ちゃ悪いかよ!一人じゃ悪いかよ!とか気になる小心者の俺。
チラチラと見てくる彼女達。む、まさかこれは旅先での出会い!?
途端にソワソワしだす俺なのだが、いまはモハメッド、ゾハイアとランチ中。ううむ。
タイミングを見計らってーとか思っていると、既にランチを終えていた彼女達は出て行ってしまった。あふ。
ランチはというと、羊の肉だと思われる物に、デミグラスソースの様なものをかけたもの。
モハメッドは腹がすいていないのかサラダを残して離席する。
ゾハイアは新聞のサッカー欄のスコアを入念にチェックしている。
聞けば、チュニジアのサッカークラブに所属していたようで(これもサッカークラブをメモった本をあげてしまい(ry )、クラブを辞めてから職を探し、今のドライバー業を9年ほどやっているようだ。
ドライバーどれぐらいやってるの?という質問からそこへ辿ったのだが、なぜそんなことを聞くんだ、と言い返される。
うーん、まだ認められていないのだろうか。
もしくは、サッカーを辞めてドライバーへ転身した"節目の部分"が喋りたくないのかなぁ。
とにかくその話はやめて(というか拙い英語ではこれ以上は変な誤解を生みそうなので)、これからのプランについて会話した。
これからはロングロングドライブのようだ。地図で確認すると、次の目的地トズールまで200kmほどありそうだ。
既に朝から100km以上は走ってるので、これはタフなドライブだ。。
14:00
トズールへ向けて出発。頑張れゾハイア。
既に周辺にはオリーブの木もなく、ただただ荒野が広がる景色。
昨日まで地中海近くで海が綺麗だったのに、この変わり様に驚く。
遠くに見える山脈が美しい。
17:30
トズールのホテルへ到着。リッチだ。
ライトが自動点灯することに感動する。
望むなら、伝統舞踊などを見ながらディナーを楽しめる場所があるとモハメッドが言う。なにそれ、行く行く。
歩いていけるような距離ではないようなので、後で合流して行く事に。
集合時間まで、外を散策。
歩いていると、観光用の馬車、カレーシュを見かける。
通り過ぎるカレーシュ乗りに挨拶したら、横につけてきた。ああ、そうだよね、乗るのかと勘違いするよな、、
全然乗る気はなくて、金持っていない事をアピールする。
相場は12-10D程度のようなので、5Dしか無いんだよねー、と言ってたら、それでOKになってしまった。ありゃ。
この人、オハヨウゴザイマス、コンニチワ、アリガトウゴザイマスと、日本語を知っている。
口癖は、ヤバイネ。ヤバイネを連呼してくる。出川、、とは違うか。誰が教えたんだ。
他にも英語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語なども知ってるというのだから、南部に来てもやはり同じ様にみんな多言語を扱う事が分かる。チュニジア人はほんと柔軟だ。
助手席に乗せてもらい、カレーシュに乗りながら街を見学。
南部までくると、チュニスとは違って、服装がぐっと保守的になる。
女性の肌の露出は随分少ない。
周辺には結構ホテルが建っており、日本人のよく利用するホテルだといって、ヤバイネホテルだと言ってくる。面白いな。
なんでも13ほどのホテルがあったが、いまは3つcloseされてしまったんだとか。
家族の話をすると、妻は5人いると言う!おお、さすがイスラム圏、一夫多妻制かぁ。
しかしこれは後にジョークだと知ることに。
カレーシュに乗りながら見える夕焼け。
19:30
カレーシュ乗りと別れ、モハメッド達と合流してレストランへ。
レストラン、といっても広く雰囲気ある作りになっていて、3つのセクションに分かれていた。
食事をするレストランスペースと、伝統工芸(?)をする女性達を見るスペースと、ショーをするための闘技場の様なスペース。
ナンのようなものを焼いているおばあちゃん。出来た物をくれて、それがもちもちしていてうまかった。
闘技場のようなとこ。黒衣装の男達が馬にのって剣舞を披露する。他にも火を吹くショーなど、半分サーカスみたい。
無論、この旅はいたるところで観光客は欧米人ばかり。日本人の俺は寂しい限り。
中庭に移動して、ヘビやサソリのショーもある。
ディナーを食しながら、伝統民謡やベリーダンスなどの伝統舞踊を鑑賞。
ディナー用の服装になったゾハイア。
チュニスで飲んだ時もそうだが、カレーシュに乗ってまわったことを話すと、モハメッドに注意されてしまった。
一人だということにもっと注意してくれと。サハラ周辺は貧しい人が多いから、危険があることを覚えておいてくれと釘をさされた。
そしてこの指摘は後日、少しだけ当たることになる。
その後なぜかカレーシュのガイドぶりはどうだったか聞かれ、俺が明日もっとラブリーな時間を過ごさせてやる、と言う。ゴクリ。
ちなみに、カレーシュ乗りが5人妻がいると言っていたと話すと、それは無いと言われた。
なぜなら、チュニジアはイスラム圏ではあるものの、一夫一妻なのだそうだ。
(後で調べたところ、個人身分法により重婚を禁止、アラブ・イスラム諸国では初めて一夫多妻廃止をした国のようだ。)
一杯食わされた!
22:00
ショーは色々楽しめたけど、途中で飽きてしまった。あはは。
翌日は朝日鑑賞があるというので早起きだし、途中退出でホテルへ戻る。
夜道は結構危険そうだ。歩いてこなくて良かった。
24:00
就寝。
他にも土産屋での格闘やゾハイアの恋愛論などいろいろあったが、チュニジア滞在3日目はこんな感じだ。
次はチュニジア滞在4日目へ。
コメント
コメントを投稿