人間とは何か

"人間もまた非人格的な機関にすぎん。人間が何かってことは、すべてのそのつくりと(中略)外的力の結果なんだな。"

人間とは何か (岩波文庫)

著:マーク・トゥエイン

老人と青年の対話式で語られる、マーク・トゥエインの人間観。
かいつまめば、
-人間は機械である。即ち自ら考え、創造することなどなに一つない。
-機械である人間は、気質という作用で働く。外的力をインプットし、気質の作用でアウトプットが生まれる。
-気質という主人の満足が得られることを人間は行う。しかし気質には善悪の区別はないのである。

気質だけに限定するには語弊があるかもしれないが、マーク曰く、気質や教育やその他当人を形成し作り上げてきた毎日の外部的影響により、人間という機械は動くのであると。そしてその機械は内なる主人の満足が得られるかどうかで行動の選択をするのだ、と。

人間は機械だと一番最初に結論付けられ、その後老人と青年の話は進んで行くのだが、最初からちょっとショッキング。
しかし青年の反対虚しく、老人の一論一論を見る度になるほど、と思ってしまう。
例えば、今俺がこうしてブログを書いていることは、色んな外からの影響を受けて形成された自分が書いてるわけだ。
その自分が、たった今書いている「人間とは何か」を選んだのは、本屋でこの本が目に留まったという外的力と、この本を選ぶに至った、形成された自分がそこにいるから。(目に留まること、選ぶことはここでは同意だね。)
プラス、ブログを書く事で満足を得られる主人(=気質)がいるから、いまキーボードを叩いている訳で。

そう考えると、人間は色々なものの影響を受けて生きている。
それは色んな場面で感じるし、当たり前の事だ。
よく、「人は一人では生きられない」というけれど、これを裏返せば外から得られる要素=外的力が必要なことを示しているよね。
しかしこの外的力が必要なことを、著者は観察し考察し機械と結論付ける。
内なる主人の満足が得られる事をやっているのであり、かつそれらは全て外的力によるものだ。
であるからして、人は結局機械の作用をやっているだけで、その過程はどれも同じこと。人と比べて優秀さや威厳など主張しうる資格なんか毛頭ないと、著者は言い放っている。
それどころか、人間と他生物を比べても、何も変わるところは無いのである、と。痛烈。

青年は、こう反論する。
”それじゃ、まるで人間はコーヒーひきですよ"
頑張れ青年!と応援しながら読んでも、青年と一緒に、老人の前ではけんもほろろになってしまう。

老人の教説に、人間の良いと思われるところの一切を奪われ、否定される。
著者の晩年の評論本で、当初匿名で発表されたそうだ。
かの有名な「トム・ソーヤの冒険」も著者が書いている。(まだ読んだ事ないんだよね!)

人間は機械なのである。というのはちょっと温度がないけれど。
著者の言葉を受けるなら、機械の構造が分かったなら、それをどう良くしていくかもおのずと分かるはず。
人は外からの影響を受けて、気質で選択しているのは共感できる。
では、大量にある外からの影響を、どうやって"良い吸収"をしていくかと、気質の向上をどう実現するか。(気質の向上って難しい。。)
日々試行錯誤。そして忘れていく俺。人間とは忘却する生き物です。マーク先生。

おすすめ度:75点

人間って何なんだろうって思う人。機械人間万歳!な人。コーヒーひきになりたい人。
タイトルに興味湧くのなら、どうぞ。

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