それでもボクはやってない

「少なくとも僕は自分が犯人ではないという真実を知っている」

痴漢冤罪がテーマ。
もしも同じ状況に立たされたら。
世の男性はそんな事を考えながら見てしまう映画だと思う。

無実である。例えそうであっても、それを判断できる材料が無いと無実にならないのか。
"疑わしきは罰せず"
そんな言葉があったはず。
当事者同士の主張以外、確たる証拠も証言もない痴漢事件。
それならば、無実となるのが道理だと思う。
しかし裁判では、"痴漢をはたらいた"ということになり得る妥当性を探っているようにも見えてしまう。
そして判決は、被告の主張や証人証言、実験情報等を、"犯人である事を妨げる要因にはなり得ない"と斬って捨てる。
出発点が違う。
"犯人である明白な事実を示している"
でなければ、有罪にはなり得ないのではないか。
「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」と冒頭にでるように、その言葉の下ではおかしな判決だ。
劇中でも言われているように、現状の裁判に関する疑問点を、この映画は教えてくれる。

では逆に、主人公・徹平が痴漢を行っていて、同じように無実を主張していたら。
そう考えると、なんとも難しい。
しかし、冒頭の言葉を信条とするならば、難しくはないのだろう。

徹平にバリバリ感情移入して見ていたごまのすけは、警察や検事が悪に見えた笑
そして大好きな小日向裁判官も。。

好きな役者も多くいて、あっというまの2時間半。
馴染みのない裁判シーンも新鮮。
食入る様に見れる映画だった。

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